今日は、一年ぶりに青木良仁先生と京都ハカマイル。
10時30分に近鉄桃山御陵駅で待ち合わせて、天台宗龍雲寺へ。
目当ては、
橘南谿の没後に弟子が建立したという供養墓だったが、残念ながら早くに廃棄されたのか、それともガセネタだったのか発見出来ず。
駅に戻る途中、青木先生が早めの昼食を提案されたので、
中国料理くれたけへ入る。
チンジャオロース定食と紹興酒を賞味。
続いて大谷本廟へ移動し、中国文学の吉川幸次郎(1904~1980)の墓へ。
吉川家之墓(大谷本廟)
私はさして熱心な読者ではないが、岩波新書の『漢の武帝』は中々面白かった記憶がある。
谷沢永一氏は結構ボロクソに言ってたけれど。
続いて、近くの鳥辺山にある
和田東郭の墓所へ向かう。
和田東郭はもう何度もハカマイルしているのだが、以前に撮影した写真がどうも今ひとつで、前々から撮り直しをしたいと思いつつ、機会を持てずにいた。
続いては建仁寺の塔頭・両足院に向かい、
三輪執斎の墓所へ。
建仁寺を出て向かったのは、円山公園の東側にある長楽寺で、ここの目当ては言わずと知れた頼山陽(1780~1832)である。
頼山陽といえば、江戸後期の文人であるが、易儒を調べていても至る所に名前が出てくる人で、その交友の広さには驚くばかりだ。
至る所にある案内の石標の多さが、これまでのローカル易儒たちとは格の違いを感じさせる。
青木先生は頼山陽の名を初めて知ったのは渡部昇一さんの本だったらしいが、私は放映が始まった頃の開運なんでも鑑定団だった気がする。
戦前は頼山陽の書が一幅あれば家が一軒建ったそうだ。
頼山陽墓(長楽寺/京都市東山区八坂鳥居前東入円山町626)
長楽寺山中からは京都市内が一望出来て中々に清々しい。
長澤芦雪墓
頼山陽墓所の近くで長澤芦雪(1754~1799)の墓を偶然見つけた。
芦雪は江戸後期に活躍した絵師で、円山応挙(1733~1795)の高弟である。
ハカマイルを始めた頃、大阪は天龍院にある芦雪の墓へ参ったことがあるが、どちらが真墓なのだろう。
4年ほど前であったか、信楽のMIHOミュージアムで芦雪の特別展を加賀井先生達と観に行ったことがある。
長楽寺を後にして、京都市役所近くにある青木先生行きつけの御経屋さんへお伴し、地下鉄で別れて帰途に就いた。
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