海昏侯の『易経』
- 2022/11/22
- 18:44

『漢方の臨床』9月号に載った小曽戸先生の「海昏侯劉賀前漢墓出土の医工杯」を興味深く拝読した。「海昏侯劉賀前漢墓」は2011年に江西省南昌で盗掘の発覚がきっかけとなって大々的に発掘され、多くの豪奢な副葬品が見出された前漢期の墳墓で、被葬者は武帝の孫の劉賀であることが判明している。在位僅かに27日という短さは廃帝と謚されるに相応しい幸の薄さを物語るが、それはさて置き、小曽戸論文では出土品中「医工五/□湯」と隷...
校勘資料としての馬王堆帛書『周易』
- 2022/11/19
- 14:22

筆写によってのみ伝わる時代の長かった古典籍には、必ず伝写の際に生じた誤字脱字が累積し、結果として同一の書物にも幾つかの系統が生じて来ることになる。それら諸本間の異同を補正して質の高いテキストを得ようと試みる作業が所謂「校勘」で、『周易』の場合、主として用いられるのは『李氏集解』や『経典釈文』、『熹平石経』辺りであろうか。しかし、ここ数十年、中国では大量の出土資料が現れており、可能であれば直接に古い...
小象のこと
- 2022/11/16
- 18:27
全釈漢文大系『易経上』(鈴木由次郎訳注)の解説篇19頁に小象について示唆に富む箇所があるので、該当箇所を引用させて頂くことにする。~~~~~~~~~~~~~~~~~~大象と小象を合わせたものを象伝と呼ぶのは唐の孔穎達の『周易正義』以来の通説である。しかし、小象は大象よりはむしろ彖伝と類型が同じである。彖伝は卦辞を解釈したものであり、小象は爻辞を解釈したものである。そして、ともに押韻している。これを彖...
小象の稚拙
- 2022/11/13
- 08:54

通行本『周易』は王弼のテキストが元になっており、その王弼本を遡れば費氏古文易に行き着く。費氏古文易は前漢末頃の費直を祖とする易で、彼の易は十翼を以て『周易』上下経を解することに特徴がある。従って、この費氏古文易に連なるところの我々が「拠伝解経法」を以て易を解するのは王道と言って差し支えなく、実際二十世紀以降に疑古的解釈が登場するまで、殆どの学者が此の王道に準拠した経学を展開して来た訳であるが、本来...
吉卦と凶卦
- 2022/11/07
- 18:12
蒼流庵易学講座は、早くも易の核たる六十四卦の四分の三に手が届くところにまで進んだ。二年間の講座としては、まだ四分の一を漸く終えたに過ぎないのだが、知らない言葉や概念が延々続くのは矢張り六十四卦の経文だから、ここを辛抱して頂ければ、後はグンと楽になると思う。ただ、なるべく実占を通して卦爻辞に触れて頂くよう講座開始直後からお願いしているのだが、受講者の皆さん中々に腰が重くてどうしたものかと思案している...
公田会
- 2022/10/01
- 10:05

神奈川の録画受講組Y氏が御恵送くださった古書の幾つかは既に記事の中で御紹介しているが、先日公田会についての資料を送って頂いた。古書店で『易経講話』の原本である『周易講話』35冊を入手された際、挟まっていたものという。実はY氏が『周易講話』を入手されるのは二度目で、一度は蔵書整理の際メルカリで処分したらしいのだが、今回かなり気の毒な古書価がつけられていた為、つい購入してしまったとのことである。私自身は『...
遠くの顔~公田連太郎~
- 2022/09/25
- 10:27
田中半七は気骨があり、手をついてお辞儀する時は、古武士の風格があった。いつも公田先生の隣か私の隣にすわった。「きょうはこういうのを作りやした。」と云って、漢詩を書いてくる。私は無学だからさっぱりわからない。先生のところへもって行ってもわからない。無学でもわからない。学問があってもわからない。皆、字を作るのだからわからないはずだ。五言絶句の時、六言七言あれば都合がわるい。そういう場合、あえて一字にし...
遠くの顔~小杉放庵~
- 2022/09/22
- 18:11
われわれが集っているアトリエに、時々白ひげの柔和な目をした老人が顔を出した。これが公田連太郎先生であって、放庵宅の茶の間の客であった。勿論放庵より年上である。先生は小石川の至道庵で、無難禅師のことを調べているところであった。無難、正受老人、白隠と法系が続くが、至道庵にはその文献があったので、先生はそこに起き伏されていた。ある日、先生は放庵のところへ相談に来た。「結婚しようと思うのだが、どうであろう...
竜門寺
- 2022/09/19
- 10:00
私の漢文の先生は故小川芋銭と友達であったから、もう八十より九十に近くなられただろう公田連太郎先生である。先生が易学にもっとも熱情をもっていられるのは、先生が根本通明の門下であるからであろう。先生は「国訳漢文大成」八十八巻のうち、三分の一以上訳註されたから、知っている人は知っているだろうが、知らない人の方がずっと多いのである。先生は二十一歳から南隠老師の講筵に列席し、禅の究明を生涯の仕事に思っていら...
真福寺~公田連太郎仮寓之地~
- 2022/09/16
- 18:12

朝日新聞に載った森本記者の取材記事において、公田先生が三浦半島の佐島に寄寓していた大正7年、津波に蔵書をさらわれ、仏典・漢籍のみが砂浜に残ったという、其の後東洋の典籍一すじに歩む契機となった事件が紹介されているが(記事中、大正七年とあるのは恐らくは間違いで、前年の大正6年10月1日の台風による津波被害と思われる)、三浦半島時代の公田連太郎を語るならば、やはり北原白秋に触れぬ訳にはいくまい。白秋が初めて...
公田連太郎先生と漢学
- 2022/09/13
- 18:35
漢方をはじめてから誰れかよいお師匠さんに漢学を教えて頂きたいと考えていた。われわれの父祖は、漢学の教養によって育てられ、身を修め、家を斉え、進んでは国を治められた。漢学は大人の学だ。加藤清正が「以テ六尺ノ狐ヲ託スベク、以テ百里ノ命ヲ寄スベク、大節ニ臨ミテ奪ウベカラズ、君子人カ、君子人ナリ」という論語の一句に感じて、豊臣秀吉の遺児秀頼を守る快心を固め、終生の清節を全うしたように、漢学の垂訓は人生各般...
易経講話之地
- 2022/09/04
- 10:01

明徳出版社より上梓され、洛陽の紙価を高からしめた『易経講話』全五巻が文字通り講話の草案を元にして成立した書物であるのは書名の通りであるが、かねてから講話地のイエマイルを念願していて此の夏ようやくそれが実現し、喜びもひとしおである。明徳出版社版の元になった謄写版を実見していないので確かなことは言えぬが、公田翁の『周易』講話は、戦前の老荘会に於いても行われていて、戦争により中断を余儀なくされたらしい。...
公田連太郎と老荘会
- 2022/09/01
- 18:36

公田連太郎先生は一度も定職についたことがなく、一生を清貧の中に送った隠儒であるが、「国訳漢文大成」中の『資治通鑑』の全訳に取り組んでおられた際、これだけの大学者を遊ばせておくのは勿体ないと、友人の小杉放庵(1881~1964)が田端の自宅に公田先生を囲んで漢籍の講義を聴く集まりを作り、これを“老荘会”と称した。まず『荘子』から始めて、内篇、外篇を終えるのに四年かかり、それから『詩経』『文選』を経て、『易経』...
ある日の公田連太郎氏(下)
- 2022/08/28
- 10:28

冬のうす日がさす。それを背にして、公田さんはうれしそうにいう。ひざの上に分厚い和とじ本。「ゆうべ『大智度論』をやっと読み終りました。と申しても、なんにも残っておりませんが……しかし読んでいる間は、空中に浮んでるような気分でござした」公田さんは昨年一月、病気をした。もうダメだと思ったところ、不思議になおった。そこで心祝に読もうと、仏教の故事来歴を書いた『法苑珠林』(ほうおんじゅりん)を読始め、いつの間...
ある日の公田連太郎氏(中)
- 2022/08/25
- 18:23

公田さんの家は古くて、小さい。やけたタタミ、粗末な机、黒ずんだカベ、そのカベに「遁世」と書いた良寛の木彫がかかっている。それを背にした公田さんは、いかにも安らかで、顔回のように毎日を楽しんでいるように見える。しかし、それは世捨て人の気楽さではない。世間に認められるとか、社会的な地位を得るということに何の興味も示さない公田さんだが、逆に世を捨てたり、世を逃れたりするのも決して快としない。「竹林の七賢...