吉村周山
- 2023/09/07
- 18:42

大阪象牙美術工芸協同組合発行が発行した『橒~関西象牙業界のあゆみ』(1988)は、我が国に於ける象牙製品の起源について「江戸時代、享保年間(1716~1735)に大坂の彫り氏、吉村周山が中国製の象牙細工を見てこれを模倣したのが始まりと言われ、主に根付の象牙彫が行われていた」と記すが、庵主は其の昔、根付の蒐集を行っていた時代があって(したがって象牙については一般より幾らか詳細な知識を持ち合わせている)、吉村周山...
蒼流庵 in Kyoto
- 2023/04/10
- 20:51

今日は、オンライン講座の受講生でもある某ユネスコ協会会長F氏とM女史を御連れして大阪~京都を散策。お宿までお迎えにあがり、向かった一か所目はM女史の所望された緒方洪庵の適塾。10時前だったので、まだ資料館は開いておらず、すぐ傍の少彦名神社を参拝した後、F氏が長らく果たせずに居られたという武田薬品の杏雨書屋へ行き、特別展を鑑賞(今日が初日で我々は来訪者第一号とのこと)。中之島から高速で京都に移動し、上京区...
名を好む心は学問の大魔なり
- 2022/10/11
- 18:33

中根東里墓(顕正寺/横須賀市東浦賀2-1-1)“南総之力”をゲットした翌日、横須賀は東浦賀の顕正寺に中根東里(1694~1765)の墓所を訪ねた。江戸中期の陽明学者で、若い頃、徂徠の門にも学んだことがある人である。伊豆下田の生まれで、名は若思、字は敬父(敬夫)、通称を貞右衛門といい、東里と号した。幼児に父を失った後、出家して宇治萬福寺の悦山道宗(1629~1709)に参じたが、正徳年間、江戸に出て荻生徂徠に師事し、のち室...
相良知安先生記念碑
- 2022/10/06
- 18:10

相良知安先生記念碑(東大病院内)昭和10年、東大病院内に石黒忠悳題額、入沢達吉選文による巨大な記念碑が建立されており、以前は池之端門看護師寮付近に在ったそうだが、東大病院創設150周年記念事業の一環として、新入院棟Aの玄関付近に移転していると聞き、昨年のちょうど今頃、上京の際に覗いて来た。当時はまだGoogleマップに所在のデータが入力されておらず、多少辿り着くのに苦労したが、現在はこの通り楽勝。藤棚の藤が碑...
消える無縁墓
- 2020/06/10
- 20:15

先日、取材で久しぶりに京都入りした際、旧本圀寺墓地である妙恵会総墓所に足を運んでみて驚いた。同墓所はちょうど二年ぶりであるが、墓地中央にあった二基の無縁塔のうち、東側の一基が処分されて、跡形もなくなっているのだ。上掲は初訪時の2009年に撮影したものである。グーグルマップの衛星画像ではまだ二基とも確認出来るが・・・御覧の通り旧本圀寺墓地には、かつて初代味岡三伯の門下四傑のうち、井原道閲と岡本一抱の墓所...
荷田春満の墓
- 2020/02/22
- 09:16

荷田春満墓(在ノ山墓地/京都市伏見区深草藪之内町)現在進行中の或る医史学上の案件で木曜に今井秀先生と京都入りした帰り、伏見にある荷田春満の墓所を掃苔して来た。春満は伏見稲荷の社家・羽倉氏の出であり、墓所は伏見稲荷の南に隣接する在ノ山稲荷社祀官墓地の南東隅に在る(後ろに見えているのは市営深草墓園)。この辺りは行った事のある人なら直ちに合点が行くと思うけれど、とんでもなく道が狭くて運転して下さった今井...
初めての墓拓
- 2019/09/13
- 18:28

先日、医史学仲間の整形外科医・今井秀先生にお声掛け頂いて、初めて墓拓取りのお手伝いをする事になった。碑文が写真撮影では不鮮明だった為、墓拓を採って正確に解読しようという試みである。もちろん二人とも墓拓は全くのド素人。こちらが今回のターゲット(もちろん寺院には事前に許可を貰っています)まず、布テープで仮止め水で濡らして行きます。浮かび上がる文字群に感動!炭を附けてポンポン叩いていきます。残念ながら、...
伏屋素狄の史跡を歩く
- 2019/08/19
- 19:41

中野操文庫の調査が一通り終わって、大阪市立中央図書館を出た後、今井先生がすぐ近くにある伏屋素狄(1748~1812)の顕彰碑へ案内してくださった。私は蘭医にはまるで暗い為、最近まで名前くらいしか知らなかった医家なのだが、漢方医から蘭方医に転向して人体を含む各種解剖を盛んに行った人で、特に墨汁を腎臓に注入して、濾過および尿の生成機能を疑似的に観察したことで名高い。日本実験生理学の祖である事を称え、図書館の東...
木村敬二郎を探して~完結篇~
- 2019/08/10
- 14:10

2016年の年の瀬に、『大阪訪碑録』の著者・木村敬二郎について調べた結果を木村敬二郎を探してと題して三回に亘って連載した。この木村敬二郎が初めて手掛けた掃苔は、『大阪訪碑録』の自序によると、どうやら永富独嘯庵であったものらしい。特別医学に関心があったという訳ではなさそうだし、掃苔を始めた明治の終わり頃に住んでいた道修町から墓所のある蔵鷺庵が近いという訳でもないのだが、よく考えてみると、独嘯庵が医業を行...
漢学ハカマイルあれこれ
- 2019/03/10
- 09:32

昨年は可憐なお花の写真をアップする事に明け暮れて、墓参記事は一つも書かずに過ぎたが、全くハカマイルをしていなかった訳では勿論ない。撮り溜めた写真も結構な数になって来たので、おいおいご紹介して行くことにするが、今回は昨年の探墓も含め、これまで紹介して来なかった漢学関係のものも併せていくつか。公田連太郎墓公田先生の墓所は、実は10年前に行っているのだが、その時の写真はイマイチだった為、昨年上京した折に撮...
掃苔十周年
- 2019/03/05
- 18:39

本日3月5日は、我が掃苔道丸十年という誠に記念すべき日である。私は漢方ハカマイラーとしては恐らく日本一であろうと自負しているし(長らく幻とされて来た岡本一抱の墓碑の写真を探し出して来たり、岡本玄冶クラスの墓碑を新たに見出したのも大きな成果であったと思っている)、易学ハカマイラーとしては間違いなく、頂点に立っている(なにせやってるのが一人しかいない笑)。カテゴリの墓参録も既に400近くに迫っているが、ま...
掃苔家の饗宴 其の弐
- 2017/12/28
- 19:36

ラペティ・ロアラブッシュにて今日は忘年会のお誘いを受け、整形外科医にして掃苔家、そして子孫マイルの第一人者でもある今井先生に、行きつけというフレンチの名店ラペティ・ロアラブッシュさんへ連れて行って頂いた。実は先月にも忘年会名目で心斎橋のフレンチにお呼ばれしたのだが、やっぱ忘年会は12月じゃないと気分が出ませんなということで、二度目の忘年会と相成った次第。お店があるのは、随分前に紹介した懐徳堂碑のある...
掃苔家の饗宴 其の壱
- 2017/12/27
- 01:18

今日は、南越ハカマイラーのちゃお・めいさんと、忘年オフ会。二年近く、メールでのやり取りが続き、お目にかかるのは今日が初めて。ちゃお・めいさんは、南越の儒者の家系につながる方で、ご自身のルーツ探しをきっかけに掃苔に取り組まれている。蒼流庵随想も参考にしてくださっているそうであるが、芥川丹邱や細合斗南など、庵主が探墓しそこなった墓碑も発見されており、こちらも大いに裨益されるところがあった。こういったお...
奇妙なものアレコレ~掃苔こぼれ話~
- 2016/12/27
- 18:36

2009年の3月に初めてハカマイルというものを体験してから漢方医やら易儒やらの墓碑を追い求めてもうすぐ8年になろうとしている。まさに光陰矢の如しであるが、その間、掃苔した箇所は恐らく400を優に超えていよう。漢方医と易儒はほとんど全て蒼流庵随想にて紹介済みであるが、それ以外の分野もいくらか手を付けているから探墓に成功した実数だけで400は軽く超えている筈で、結局見つからずに終わったものを入れれば、600近くにな...
山梨稲川の墓
- 2016/12/26
- 18:26

山梨稲川墓(崇福寺/静岡市駿河区稲川1-3-17)山梨稲川(1771~1826)という学者の存在を庵主に知らしめたのは、湖南の『先哲の学問』であった。本来なら、昨年説文解字に触れたついでに其の墓所をご紹介したかったところなのだが、掃苔が叶ったのはつい先日のことである。山梨稲川は、明和八年に山梨維亮の四男として生まれ、名は治憲、字は玄度・叔子、通称を東平といい、稲川・昆陽山人・不如無斎・於陵子・煙霞都尉・山野聱民...