横浜ガス灯関連史跡を歩く②
- 2023/03/03
- 18:11

馬車道十番館(横浜市中区常盤町5-67)レトロ喫茶&レストランとして人気を集める馬車道十番館は、かつての高島嘉右衛門旧居跡に建てられているという。嘉右衛門の邸宅と言えば、高島台の大綱山荘を思い浮かべるが、大綱山荘は隠居所であって、実業家として数々の事業に携わった時代の根城がどうも今の馬車道十番館辺りだったということらしい(以前掲載した写真が時期的に考えてそうかもしれない)。入口横の電話ボックスはタダな...
横浜ガス灯関連史跡を歩く①
- 2023/03/01
- 18:44

2021年秋、コロナ流行の間隙を縫うように、何年振りかで横浜の嘉右衛門関連史跡を散策した。ただし、高島台の方ではなく、趣向を変えて実業家としての嘉右衛門の足跡を辿るべく、ガス灯関連の史跡に絞っての調査である(調査とは言っても、既に多くの方がweb上に情報をあげておられるから、実際にはそれをなぞっただけの観光でしかないのだが)。日本ガス事業発祥の地碑(横浜市中区花咲町3-86)日本ガス事業発祥の地碑は嘉右衛門...
南総之力
- 2022/10/08
- 10:30

易学に限った話ではないが、学問は地道に基礎となる力をつけることが何よりも重要であるのは言うまでもない。そして、学問の基礎を確立するには何と言っても意志の力が必要となる訳だが、その次に大切なのは環境である。勿論、環境と言っても色々あって、知的生活を営む人々の中で静かに学問に打ち込むことを許されるのは極めて恵まれた環境の一つだろう。しかし、そういったものとはまた別に、「土地のエネルギー」とでも言う他な...
至道庵を訪ねて
- 2022/09/10
- 09:50

至道無難禅師遷化の地である至道庵は、かつて尾州犬山の輝東庵、信州飯山の正受庵と並んで天下の三庵に数えられ、臨済宗に於いて尊重された霊域であったが、他の二庵が今も存するのに対し、至道庵は幾度も廃滅を繰り返して今日跡形も無くなっているのは誠に残念なことである。至道庵は、延宝二年(1674)の春、小石川戸崎町に禅師が金五十兩を以て購い、隠居所としたもので、二年後に禅師の遷化されし後は、百年も経たないうちに荒廃...
GIFU
- 2022/02/01
- 18:08
恥ずかしながら、「岐阜」という県名が、易辞にも見えて居る「岐山」の「岐」と、孔子の生まれ故郷である「曲阜」の「阜」を合わせたものであるというのをつい最近まで知らなかった。名付け親は織田信長とも言われているが、異説もあって確かなことは判らないらしい。しかし、荘厳な県名にも拘わらず、易はおろか儒教がらみのこじゃれたモニュメント一つ県内に無さそうなのは如何にも寂しい話だ。その点、九州は孔子が熱い。長崎の...
遣唐のひばり 伝承地
- 2021/05/10
- 18:06

遣唐のひばり 伝承地碑(堺市西区神野町2-19-1)先日、リコールで自家用車を車屋に預けた帰り、運動不足解消を兼ねて徒歩で帰宅したところ、数年前開通した通りの道沿いに「遣唐のひばり 伝承地」の石碑が出来ているのに気付いた。平成27年とあるから、そんなに新しいという訳でもないが、車の走行速度では気付けずにいたようだ。場所はJR阪和線の上野芝駅と津久野駅のちょうど中間あたりの線路を横断して13号線と常磐浜寺線を結ぶ...
今井屋敷跡
- 2020/12/08
- 18:11

京都の町を歩くと其処此処に記念碑が立っているのを目にして歴史好きならそれだけでも楽しめるものがあるけれど、堺もそれには及ばぬながらちんちん電車の走っている辺りを散策すると似たような石碑を沢山見つける事が出来る。今井屋敷跡(大阪府堺市堺区宿院町東3丁1)宿院にある堺市医師会の別館そばに今井屋敷跡を示す石標と案内板があり、織田有楽斎より今井宗薫(宗久の長男)が譲り受けたものとあるから、松永弾正の易占シ...
契沖の史跡を訪ねて②
- 2020/03/02
- 18:12

圓珠庵(大阪市天王寺区空清町4-2)契沖の墓所がある圓珠庵は、真田山公園を少し西に上ったところに在って、庵主は2011年に華岡鹿城の墓参の為、一度訪れたことがある(契沖忌の1月25日のみ公開)。鎌八幡の境内に養寿庵を移築して「圓珠庵」と名付けたものといい、大正11年には境内が大阪市初の国の指定史跡となった。重要文化財指定を受けた同庵所蔵の契沖の稿本類は、現在、府立中之島図書館に寄託されている。契沖 生誕の比定...
契沖の史跡を訪ねて①
- 2020/02/28
- 18:20

契沖養寿庵跡(大阪府和泉市万町310付近)契沖は寛文九年(1669)から十年の間、和泉の地に幽居し、仏典・漢籍・国典を渉猟して、古典学者としての基盤を獲得した。延宝2年(1674)頃から数年間、万町村(現在の和泉市万町)の豪農で膨大な蔵書を持つ文人でもあった伏屋重賢(1638~1693)に招かれ、伏屋邸内の養寿庵に寄寓しつつ、同家の蔵書で研究している。もともと伏屋家は契沖の祖父と親交があったものらしい。養寿庵の跡地は...
もう一つの國學發祥之地碑
- 2020/02/25
- 18:10

國學發祥之地碑(和泉市立石尾中学校正門前/大阪府和泉市万町930)先日、神田明神境内にある國學發祥之地碑をご紹介したが、其の碑について調べていて、我が大阪にも国学発祥の地を記念して建てられた碑があり、こちらは契沖阿闍梨(1640~1701)絡みである事を知った。昭和38年に建てられたもので、題字および和歌は昭和の国文学者・佐々木信綱(1872~1963)の手に成るもの。契沖と言えば、『万葉集』をはじめとする我が国の古典...
國學發祥之地碑
- 2020/02/19
- 18:43

國學發祥之地碑(神田明神境内/千代田区外神田2-16-2)先日久しぶりに神田明神に足を運んだ際、境内で國學發祥之地と刻まれた石碑が目に留まった。前回神田明神を訪れたのは、十数年前コムケアの佐藤修さんの事務所を訪ねた際、道に迷ってしまい、ウロウロしているうちに偶然境内に入ってしまったのであるが、当時はこういった分野にはさしたる関心がなく、また此の碑のある区画には立ち入らなかったように思う。写真の碑は、荷田...
蒼流庵、蒼龍庵へ行く~其の参~
- 2018/01/11
- 18:28

蒼龍庵(福島県田村郡三春町新町160)福島は三春町の蒼龍庵は、他の二か所とは違い、和菓子屋さん。明治の中ごろより、競り市や当時近くの真照寺にあった牛頭天王の祭礼に集まる畜産農家の方々にお土産を売ることから商いを始めたそうである。残念ながら、この日は漢方治療研究会の当日であった為、朝の6時に訪れたので、店内に入ることも出来なかった。出来ることなら、福島土産に持ち帰りたいとは思っていたのだが。なお、福島に...
蒼流庵、蒼龍庵へ行く~其の弐~
- 2018/01/09
- 18:06

蒼龍庵・公会所跡(長野県塩尻市桟敷376)長野県は塩尻にある蒼龍庵は、もと江戸時代の阿弥陀堂があった場所らしいが、現在は写真の六地蔵や庚申塚などを残すのみである。明治44年、この場所に桟敷公会所が作られ、長らく村民の文化・娯楽の中心地であったそうだ。現在の形に整備されたのは平成六年で、それまでは公会所としての蒼流庵に阿弥陀像が安置されていたらしい(整備の際に現桟敷公民館に移された)。...
蒼流庵、蒼龍庵へ行く~其の壱~
- 2018/01/07
- 16:13

蒼龍庵(新潟県三条市本町1-6-21)蒼流庵の庵号は、慈雲尊者の双龍庵をもじったものであることは以前書いたが、蒼流庵ならぬ蒼龍庵というのが、日本には三か所あることを知り、近くを通りかかった折にちょくちょく探訪を続けて来た。三か所のうち、もっとも有名なのが、新潟は三条市にある蒼龍庵で、”北洋漁業の開拓者” 堤清六(1880~1931)の生家(もとは呉服屋)の一部を移築したものである。現在は集会場として利用されている...
湯島聖堂へ
- 2016/08/23
- 22:14

湯島聖堂と言えば、江戸時代官学の中心地として威容を誇った場所であるが、不思議と長らく足を運ぶ機会が無かった。恐らくは、公定の学問という鼻持ちならない権威主義的気配を、潜在意識が嫌悪した為かと思われるが、これまで散々、昌平黌絡みの易儒を取り上げてきて、肝心の本拠地に足を踏み入れていなかったのだから、考えてみれば滑稽な話だ。今回、大友先生のサプライズ会前の空き時間を利用して足を延ばしたが、これとて、御...