孔子伝
- 2023/02/07
- 18:38
オンライン講座の受講者氏より、易に云う“貞しさ”というのがよく判らないという主旨の御尋ねが何度かあった。「正しい」というのは一つの価値観であるが、言うまでもなく、それは決して絶対的なものでは有り得ない。人の数だけ正義があり、国の数だけ正義がある。人間が「正しさ」を主張して有史以来延々争いを続けて来た愚かな生き物であることも言を俟たない。要するに厄介なものであるということだ。『周易』を易“経”として経書...
中国哲学書電子化計画
- 2022/11/01
- 18:12
テキストの程度について色々と難癖を付けられることの多い中国哲学書電子化計画であるが、語句の検索にこれ以上便利なツールは目下見当たらないし、また難癖をつけられがちなのも、畢竟利用者の多さの裏返しと看做すことが出来よう。先月の陰陽五行思想についての講演の準備に際しても大いに活用させてもらい、今も利用しない日が無いと言っても良いくらいなのだが、最近まで気付かずに居たことがある。それは、書籍の分類に奇妙な...
私淑する学者
- 2022/10/15
- 10:46
辻雙明氏(1903~1991)の「公田連太郎先生と黄憲や顔回のことなど」(『禅の道をたどり来て』所収)と題した随想に以下のような一節がある。公田先生に、ある時わたくしが、「中国においての学者の中で、先生が最も私淑しておられるのは、どういう人ですか」とたずねると、先生は、程明道(『二程語録』)周茂叔(『周子書』)呂新吾(『呻吟語』)王龍渓(『王龍渓全集』)王陽明などの名を挙げられ、私の質問に答えて、それぞれ...
儒者競
- 2022/10/13
- 21:47
江戸時代には相撲の番付に準えた各界名家の人名簿「見立番付」が流行し、医学分野のものでは京都の思文閣から昔出ていた『大坂医師番付集成』を私もよく利用しているのだが、儒者競なる儒者版の見立番付が先日調べものをしていて偶然目に留まった。大部分は見知った名前どころか、掃苔さえ既に済ませていることに我ながら驚かされるが、大高坂芝山(1647~1713)といった何度も現地調査を試みて発見に至らなかった人のことも名前を...
注釈史から見た文化の五百年周期説
- 2021/03/14
- 10:24

かつて、百目鬼恭三郎が、古典の注釈史から割り出された文化の周期性について面白い仮説を提示した事がある(『たった一人の世論』26p~29p)。中国では古来、古典の注釈が文化の中心事業のようになっているが、注釈というものは古典の意味がそのままでよく分かる時代にはそもそも不要で、意味が通じなくなって来て初めて注釈の必要性が出て来る訳だ。古典の意味が通じなくなるということは、それとセットになっている諸文化の意味...
経書の読み方
- 2021/03/08
- 19:11
公田易にせよ今井易にせよ、何やら難しくて分厚い本と格闘していると、いっぱしの易学者になったような錯覚に陥りがちである。実際にそういう人を時折見かけるが、経書には正統な読み方というのがあって、かかる諸説を折衷した書物を読んで判ったような気になるのは所詮素人の範疇であると言う他ないようだ。狩野直喜は漢文研究法の第五講で此の事について簡潔に述べており、「すじを正して」読むべき事を力説しているのだが、経学...
出土資料に対する不安
- 2020/12/29
- 10:37
自分が古書の鑑定について素人であるという事も関係しているとはいえ、昨今の出土資料ブームに対して感じる不安は、やはり其の資料が本物であるのかどうかという点で、これは独り庵主のみが抱いている感覚ではない筈であるが、不思議と同じ不安を吐露する人の少ない印象がある。“ゴッドハンド”こと藤村新一氏が世間を騒がせた旧石器捏造事件から今年でちょうど20年になるが、あれだって毎日新聞の記事が無かったら発覚はもっと遅れ...
『論語』における隠者
- 2020/07/10
- 18:14

『論語』には賢愚善悪様々な人物が登場し、それらに対する孔子の評も面白いものだが、私が取り分け魅力を感じるのは、儒者やその理想像たる古聖賢などよりも、寧ろ狂接輿や長沮・桀溺といった所謂“隠者”、つまりは孔子らが理想としなかった一群の人々である。しかし、それらの人物に対して、孔子は自分とは異なる道に属する人々であるという認識を示して居ても、決して彼らを否定したり、見下したりしている訳でない事は『論語』を...
ようこはよいこ?
- 2020/07/07
- 18:11

歴史というのは、常に勝者の手によって著される為に、敗者の側が悪し様に描かれるのは避けがたいが、あまりに酷くなると時に実際の史実とはかけ離れたものになるという危険性を持っている。正確に言うなら、歴史というのは元来体制の正統性を担保する為に書かれたのが最初であって、よく言われるような客観的な歴史であるとか科学的な歴史学というのが本来は虚構に過ぎないのだ。もっとも、執筆者によって覆われた側面に光を当てる...
不惑之年
- 2020/07/05
- 10:31

俗に“論語読みの論語知らず”等というが、『論語』を“読む”という事がどれほど大変であるのかは先述したし、徂徠の如き非凡なる『論語』読みでさえ、其の身に孔子の精神を体現出来ていない事からすると、本当の意味で言えば、“論語読みの論語知らず”という境地といえど、そう容易には見出し得ないものであるという気がする。実際には、『論語』の意釈訳解の類さえ通読する事なく、慣用句と化した孔子の言葉を的外れに引用し、教養人...
論語と徂徠と仁斎と
- 2020/06/19
- 09:22

長らく東洋に於ける学問の底流であったと言っていい儒教の思想では、学問は即ち人格錬磨を目的とするものということになってはいるが、それはあくまでも建前上の話であって、前漢は武帝の時代に国教化されるに至ってそれは何よりも立身出世の手段に成らざるを得なかったし、それどころか、孔子の時代に於いてさえ、其のスクールは畢竟政治の場で活躍する人材を養成するものであった事を考えれば、何のことはない、御大層な名分を掲...
加上説から見た古代支那思想
- 2017/01/28
- 00:38

経書の中でも、易経には伏羲やら文王といったカリスマ的な要素が取り分け多く絡み付いているが、このようなハッタリを効かせなければならなかったという辺りにも、その出現の遅いことが窺われる。内藤湖南は、富永仲基の加上説を中国思想史に適用して大変面白い考察を加えているので、ご紹介したい。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~この説によれば、中国で最初に学問を興したのは孔子であり、孔子時代の人...
内藤湖南先生頌徳碑
- 2016/12/25
- 13:16

内藤湖南先生頌徳碑(十和田中学校/鹿角市十和田毛馬内上土ケ久保22-1)大湯川沿いの鹿角市立十和田中学校の駐車場には、内藤湖南の巨大な頌徳碑があり、これは湖南関係のモニュメント中最大のもので、昭和32年に毛馬内小中学校同窓会の創立六十周年を記念して建てられたものである(別にこの動機は湖南とは関係ないような?)。もとは毛馬内中学校の中庭に在ったが、昭和45年に同中学校は近隣の中学校と統合されて廃校となり(統...
内藤湖南旧宅~蒼流庵、蒼龍窟へ行く~
- 2016/12/25
- 09:40

内藤湖南旧宅鹿角市先人顕彰館の200mほど南には、明治13年、湖南十五歳の時に父十湾が建てた蒼龍窟があり、改装を経てはいるものの、未だ御子孫がお住まいで、門には「文学博士 故内藤虎次郎郷宅」の表札と、吉田晩稼書・内藤十湾刻の扁額「蒼龍窟」が掛かっている。“蒼龍窟”は禅籍の『碧巌録』三則にある「為君幾下蒼龍窟(君が為に幾たびか下る蒼龍の窟)」より採られたもので、河井継之助(1827~1868)も亦この号を用いた。な...
内藤湖南生誕地
- 2016/12/24
- 15:53

内藤湖南先生誕生地碑仁叟寺の南西40mほどの地点にあるのが、郷賢顕彰会によって昭和36年に建立された写真の生誕地碑である。しかし、実際の生誕地はここより約20mほど西方で、現在の碑は区画整理による道路拡幅に伴って、平成9年に移転されたもの。鹿角市先人顕彰館(秋田県鹿角市十和田毛馬内柏崎3-2)近くにある鹿角市先人顕彰館には、湖南の令孫・泰二氏によって寄贈された湖南愛用の品々が展示されていて、入館料210円の元は...