岡本一抱~楽しいイエマイル~
- 2020/06/13
- 18:21

目ぼしい掃苔の殆どをやりつくして退屈していた一頃、ポッカリ空いた心の隙間を医家先哲の居宅跡探訪で埋めていた事がある。2016年から2017年にかけての事だ。江戸時代には住宅地図のような詳細なものがないから、ピンポイントで特定するのは難しいが、京都であれば、『平安人物志』の如き資料があるから、通りくらいは、大よその場所を知る事が出来、医人に関しては、『京都の医学史』資料編収載の『良医名鑑』や『天保医鑑』など...
根本通明イエマイル
- 2020/03/14
- 10:46

庵主が秋田出身で明治期易学界に君臨せられた羽嶽根本通明先生に心酔している事は古くから拙ブログをお読みくださっている読者諸賢なら良く御存知の事と思うが、少し前、この通明翁のイエマイルを行ったのでご紹介したい。ちなみに、面白い事だが、刈和野にある生家跡には蒼流庵随想初のキリ番プレゼントをゲットした御仁の御親類が現在住まわれているという話だ。今回イエマイルを試みたのは、上京して一世に鳴る大家となり、晩年...
蒼流庵、蒼竜庵へ行く~イエマイル番外編~
- 2020/03/11
- 18:26

以前、全国には蒼流庵ならぬ蒼龍庵なるものが数か所あるのを知り、何かのついでに立ち寄る事が出来た場合のみ、足を運んで来た。暇つぶし同然の他愛のないものではあるが、何やら奇妙な感動めいた感情が胸中を去来したのも事実だ。少し前、猪苓探しで東北へ遠征した帰りであったか、沼津にある蒼竜庵へも行ってみたのだが、この時は、日没ギリギリの到着だった為、暇つぶしにしては必死な車の飛ばし方をした記憶がある。もっとも、...
林大学頭邸跡
- 2020/03/08
- 12:41

神田明神境内にて荷田春満の國學發祥之地碑を目にした事がきっかけとなり、しばらく柄にもない国学がらみの記事ばかり書いてしまったが、この神社が以前に足を運んだ湯島聖堂に隣接している事を当日境内から聖堂を望み見て、ようやく実感する事が出来た。昌平黌を司った林家の邸宅跡は、皇居東側の二重橋近くにあった事が古地図でも確認出来る。付近の案内地図には一応所在が記されているが、残念ながらイエマイラーを痺れさせてく...
永富独嘯庵を求めて②
- 2019/07/29
- 19:09

宇部村(現在の下関市王司)の庄屋・勝原治左衛門の三男として生を受けた独嘯庵(幼名鳳介)は、少年期に診療を受けたことが縁で、遠縁でもあったという後世方医・永富友庵の養嗣子となって医業を継いだが、友庵は現在の下関市南部町国分寺下で開業していたと木山本に記載されている。王司上町を散策した後、小田済川の墓所未参という日高女史を案内して功山寺に向かい、続いて同寺に隣接する下関市立歴史博物館で学芸員の松田和也...
宮崎イエマイル
- 2019/03/19
- 18:41

ハカマイラーは全国に数居れど、居宅跡探訪家、つまりイエマイラーは、そうは居るまい。昔は住宅地図のような精緻なものが無い為、墓所墓石のようにピンポイントで対象を特定出来ないというのがネックになるニッチな分野であるが、近現代のものは何とかなるので、鬯盦イエマイルに続いて、つい先日、宮崎市定イエマイルを敢行して来た。一時期纏めて読んだ宮崎市定先生の中公文庫のシリーズが、庵主の支那学の基礎となっている為、...
鬯盦イエマイル
- 2019/03/14
- 18:02

漢学系のハカマイルで随分苦労したのは神田喜一郎である。祖父香巌の髭塚がある玉林院に目星をつけてみたり、東本願寺の有力な檀徒であったらしいというので、大谷祖廟を3時間かけて隈なく歩いてもみたが、見つかったのは和田アキ子さんの建てた墓(あの和田アキ子さんかどうかは定かではない)くらいのものであった。そんな折、わが蒼流庵随想の見知らぬ読者氏から、神田家が京都ブライトンホテルの西にある長徳寺の檀家であると...
イエマイルを終えて
- 2018/03/02
- 18:50
漢方医家のイエマイルを意識的に行うようになったのは一昨年の春であったが(それまでにも東洞や天民の宅跡は足を運んでいるが、意識的に行うようになってからは、石碑の類ではなく通りそのものを目当てに散策するようになった)、『平安人物志』を手掛かりにしてのイエマイルは、2015年の9月に試みた新井白蛾の宅跡探訪が最初である。当初は、先に述べた通り、当人の活躍した場所の空気や人気のようなものを感じることが出来れば...
金古景山~楽しいイエマイル~
- 2018/02/27
- 18:12

『天保医鑑』(『京都の医学史:資料編』より)古方派に分類される医家のうち、最も謎に包まれた人物を一人挙げろと言われれば、私ならまず第一に古矢知白の名を挙げるだろう。徹頭徹尾、易理を以て『傷寒論』を解した医家として知られ、その著述は、名著出版の近世漢方医学書集成にも収められているし、たにぐち書店からは『意釈正文傷寒論復聖弁』が現在も入手可能である。写本を含めれば、『症因問答』『古方括要』『傷寒論正文...
味岡三伯~楽しいイエマイル~
- 2018/02/24
- 18:09

『良医名鑑』(『京都の医学史:資料編』より)味岡三伯については、以前掃苔を記事にしているが、『良医名鑑』に「富小路三條上ル町」と居宅の記載がある。本書は、正徳三年(1713)の刊行であることに加え、隣に記載されている浅井周迪に注して「父周伯者古三伯門人」とあるところから、ここの三伯は新三伯ということになるので、二代目(1666~1726)を指したものかと思われる。三代共に居宅を変えなかったとすれば、岡本一抱や...
和田東郭~楽しいイエマイル~
- 2018/02/21
- 18:52

荻野元凱の良きライバルであった折衷派の和田東郭の居宅は、『平安人物志』天明二年版に「柳馬場四条上ル町」と記されており、通りを数十メートル上ると、“京都の台所”錦市場と交差する。荻野家が後嗣まで含めると、『平安人物志』の全ての版に登場するのに対し、残念ながら、和田東郭は天明二年版にしか見えておらず、荻野家ほど長期に渡って活躍した様子はない。...
荻野元凱~楽しいイエマイル~
- 2018/02/18
- 08:48

紫織庵新町三条南にあった荻野元凱の宅跡には、現在、京町家と長襦袢のミュージアム紫織庵が立っており、同庵は大正時代に建てられた歴史的建築ということで、京都市の文化財指定を受けている。入口横に元凱について書かれた解説板が立っているが、木製の為、経年劣化で殆ど判読不能の状態。『平安人物志』の文化十年版から天保九年版に至る四版では、代替わりして、嗣子・鳩峰(1772~1840)の名が出ており、嘉永五年版および最後...
宇津木昆台~楽しいイエマイル~
- 2018/02/15
- 18:05

車屋町押小路南宇津木昆台の居宅は、『平安人物志』文化十年版には「烏丸御池北」とあり、文政五年版から天保九年版までの三版では、いずれも「車屋町押小路南」となっている。此の二つは、同じ区画の表裏である為、或いは同じ場所なのかもしれない。同通りには、かつて石田梅岩(1685~1744)の講舎があり、現在、石碑と説明版が立っている。石田梅岩講舎跡なお、『漢方の臨床』の昨年12月号に、松岡尚則先生による「宇津木昆台の...
香月牛山~楽しいイエマイル~
- 2018/02/10
- 13:49

『良医名鑑』(『京都の医学史:資料編』より)古方派の台頭以前、我が国の医学の主流が後世方、つまり曲直瀬流であったことは論を俟たぬが、昨今、後世方医の書物はあまり読まれることはなく、それは始祖たる曲直瀬道三といえども例外ではないようだ。そんな中、今日でも割に人気があってよく読まれているのが、香月牛山の書物で、愛読書に『牛山活套』『婦人壽草』などを挙げる人は少なくないらしい。牛山と言えば、福岡に生まれ...
内藤尚賢~楽しいイエマイル~
- 2018/02/07
- 18:22

『平安人物志』文政十三年版より(日文研所蔵)『平安人物志』文政十三年版および天保九年版には、『古方薬品考』の著者として知られる内藤尚賢の名が見えている。尚賢は長らく謎に包まれた人物で、小野蘭山の門人録に其の名が見えている他は、字を剛甫、通称を主馬といい、魯斎・菊渓・蕉園と号した、という程度の僅かな事柄が知られているに過ぎなかった。しかし、近年、山本亡羊の子孫が所蔵する『山本氏家譜』および愛知県西尾...