吉村周山
- 2023/09/07
- 18:42

大阪象牙美術工芸協同組合発行が発行した『橒~関西象牙業界のあゆみ』(1988)は、我が国に於ける象牙製品の起源について「江戸時代、享保年間(1716~1735)に大坂の彫り氏、吉村周山が中国製の象牙細工を見てこれを模倣したのが始まりと言われ、主に根付の象牙彫が行われていた」と記すが、庵主は其の昔、根付の蒐集を行っていた時代があって(したがって象牙については一般より幾らか詳細な知識を持ち合わせている)、吉村周山...
栄西禅師生誕地再訪
- 2023/08/04
- 18:41

先月の或る日、四年ぶりに松江のヨロイグサを探索した後、出雲を回って南下し、現在療養の日々を送られている鍼灸家のI先生を見舞う為、岡山某所のグループホームを訪ねた。先生が岡山大学の植物園で突然御倒れになったのが、ちょうど三年前の夏のこと、コロナ禍に阻まれて面会出来ない日々が続いたが、先日お近くにお住まいのT先生より面会が可能になったとの御連絡を頂戴した為、今回、立ち寄らせてもらうことになったのである...
内山鉄杖を求めて②
- 2023/07/01
- 09:52

昨年の内山鉄杖探しの旅の後、国会図書館に於ける二大革命の御蔭で、調査に幾らかの進展を見た。まず、生没年さえ不詳であったところが、『郷土伊予と伊予人』という昭和17年刊行の書物に鉄杖に関する記述を発見することが出来た。内山鉄杖 音吉、宇和島の人、年少足疾にかヽり易学を研究、鉄杖によりとび歩いてゐた街頭哲学者、かつて鶴城青年を編輯発行してゐたともある。大正四年八月十日歿す四十四歳勝手に老先生を想像してい...
内山鉄杖を求めて①
- 2023/06/28
- 18:28

与州窯訪問と合わせて予てから計画していたのが一年ぶりとなる内山鉄杖の調査である。内山鉄杖と聞いてピンと来るのは、かなりの易学愛好家ではないかと思うが、明治の終わりに『易学顧問』『日本易』『吾が易占』の三冊の易書(孰れも国会図書館がデジタル資料を公開している)を刊行した人物で、庵主が興味を持ったのは我が宇和島ゆかりの唯一の易学者であった為だ。何年か前に宇和島市立図書館に資料調査を依頼したが、詳細は殆...
医学の跡をたづねて④
- 2023/06/04
- 10:42

クリックすると拡大静岡の花野井有年(1799~1866)は和歌に秀でた医家として知られ、数冊の医書を著わすと共に『尚書易経字釈便覧』の著述もあるというので数年前掃苔を試みるも、無縁処理を受けてしまったらしく発見出来ずに終わった。『清水郷土史研究会会誌』6号(1996)には、「静岡市安西一丁目の瑞光寺に葬られた。その墓は昭和四十五年頃は存在していたが、数年前に訪れた時は見当たらなかった」とあるも、墓碑の写真は掲...
医学の跡をたづねて③
- 2023/06/01
- 18:10

クリックすると拡大今はブライトンホテルが立っている啓迪院跡も昭和中期にはこんな風情のある土蔵が並んでいたことが判る。何故か、海上随鴎の門前の碑はポッキリ折れているようだ。クリックすると拡大車での遠征を始めた最初期に挑んだ山梨の座光寺南屏は、墓碑の写真を載せる本がない為に現地で苦労した記憶があるが、この連載を先に見ていたら楽勝だったろう。クリックすると拡大3回探墓を試みるも未だ発見に至らない児島宗説...
医学の跡をたづねて②
- 2023/05/28
- 10:18

クリックすると拡大これだけ古い連載だと、既訪の医史跡の記事であっても周辺の風景が全く違っている為、それだけでも値打ちがある。連載第五回では堺が取り上げられており、以前拙ブログでも取り上げた契沖の碑も出ているが、右頁中段の竹田薬師院家の床の間など、今も此の状態で保持されているのだろうか。また、左頁には行基菩薩生誕地と伝わる西区の家原寺が大きく写っているが、実はここは庵主が幼少時よく遊んだ場所で、門の...
医学の跡をたづねて①
- 2023/05/24
- 18:01

録画受講組のYさんが古書市で発掘されたという二冊の古アルバムを送ってくださったのは一月のことであるが、市でアルバムなど視界に入ったところで手に取ったことさえ無い自分はビブリオマニアの貪欲さ(?)にほとほと関心させられたし、一度も直接にはお会いしたことのない小生の如き者に、かかる心遣いを見せて下さるYさんの御人柄にもいつも感じ入っている。都立荒川産院の院長だった外川清彦なる医師が、趣味でシコシコ貼り付...
蒼流庵 in Kyoto
- 2023/04/10
- 20:51

今日は、オンライン講座の受講生でもある某ユネスコ協会会長F氏とM女史を御連れして大阪~京都を散策。お宿までお迎えにあがり、向かった一か所目はM女史の所望された緒方洪庵の適塾。10時前だったので、まだ資料館は開いておらず、すぐ傍の少彦名神社を参拝した後、F氏が長らく果たせずに居られたという武田薬品の杏雨書屋へ行き、特別展を鑑賞(今日が初日で我々は来訪者第一号とのこと)。中之島から高速で京都に移動し、上京区...
多田鳴鳳を求めて
- 2022/12/04
- 10:07

少し前、日易連の藤懸専務理事より江戸時代の多田鳴鳳なる家相家について照会があった。なんでも気学家の多い関東では望月治先生を経由する形で多田鳴鳳が浸透しているとのこと。生憎家相に関する知識は殆ど持ち合わせていない為、其の時は何らお答えする術を持たなかったのだが、どこかで見た名前だと思い調べてみると、四天王寺の易学供養塔に最初期に合祀者されたうちの一人で、「江戸時代方鑑家先師」として、松浦琴鶴・松浦東...
易学供養塔&医史跡散策の会
- 2022/12/01
- 18:20

先週、易学講座を受講されている方々と共に四天王寺の易学先師先覚合祀供養塔を参拝して来た。学業成就の祈願が目的であることは言うまでもないが、オンライン講座の性質上、遠方の為に参拝困難な方も居られるので、代理参拝の意味合いも兼ねた企画である。私の講座を受講されているのは医学関係者が多い為、四天王寺近郊の医史跡も併せて巡るツアーにしてみたのだが、受講者のO先生が以前附近の歴史ガイドもなさっていたとお聞き...
名を好む心は学問の大魔なり
- 2022/10/11
- 18:33

中根東里墓(顕正寺/横須賀市東浦賀2-1-1)“南総之力”をゲットした翌日、横須賀は東浦賀の顕正寺に中根東里(1694~1765)の墓所を訪ねた。江戸中期の陽明学者で、若い頃、徂徠の門にも学んだことがある人である。伊豆下田の生まれで、名は若思、字は敬父(敬夫)、通称を貞右衛門といい、東里と号した。幼児に父を失った後、出家して宇治萬福寺の悦山道宗(1629~1709)に参じたが、正徳年間、江戸に出て荻生徂徠に師事し、のち室...
相良知安先生記念碑
- 2022/10/06
- 18:10

相良知安先生記念碑(東大病院内)昭和10年、東大病院内に石黒忠悳題額、入沢達吉選文による巨大な記念碑が建立されており、以前は池之端門看護師寮付近に在ったそうだが、東大病院創設150周年記念事業の一環として、新入院棟Aの玄関付近に移転していると聞き、昨年のちょうど今頃、上京の際に覗いて来た。当時はまだGoogleマップに所在のデータが入力されておらず、多少辿り着くのに苦労したが、現在はこの通り楽勝。藤棚の藤が碑...
【叢書・日本の思想家】全50巻
- 2022/08/19
- 18:08
明徳出版社と小林日出夫の想い出の150~153頁に、同社が1977年より刊行を開始した【叢書・日本の思想家】なる全50巻のシリーズが紹介されている。近世日本の思想界・教育界を動かした96人の思想家を採り上げた叢書であるが、現在に至るも未刊のままのものが数冊あるようだ。実のところ一冊も手に取ったことがなく、なんびとの人選か分からぬが、ここに挙げられた96人は其の多くが青木良仁先生命名するところの“易儒”であって、大半...
市原蒼海詩碑
- 2022/03/02
- 18:10

市原蒼海詩碑(大巌寺/千葉市中央区大巌寺町180)かつて汎日本易学協会に市原蒼海(1883~1972)という長老が居て、古い『易学研究』に啓発的な優れた論考を多数発表されているが、千葉県の龍澤山大巌寺境内に逝去の翌年建立された詩碑を見ることが出来る。裏面に刻まれた略歴によると、いすみ市の生まれで、大巌寺白寿会(老人クラブの類か?)の顧問として創立以来十年に渡り「人生百二十年」と題した講義を続けられた、とある。...