多田鳴鳳を求めて
- 2022/12/04
- 10:07

少し前、日易連の藤懸専務理事より江戸時代の多田鳴鳳なる家相家について照会があった。なんでも気学家の多い関東では望月治先生を経由する形で多田鳴鳳が浸透しているとのこと。生憎家相に関する知識は殆ど持ち合わせていない為、其の時は何らお答えする術を持たなかったのだが、どこかで見た名前だと思い調べてみると、四天王寺の易学供養塔に最初期に合祀者されたうちの一人で、「江戸時代方鑑家先師」として、松浦琴鶴・松浦東...
易学供養塔&医史跡散策の会
- 2022/12/01
- 18:20

先週、易学講座を受講されている方々と共に四天王寺の易学先師先覚合祀供養塔を参拝して来た。学業成就の祈願が目的であることは言うまでもないが、オンライン講座の性質上、遠方の為に参拝困難な方も居られるので、代理参拝の意味合いも兼ねた企画である。私の講座を受講されているのは医学関係者が多い為、四天王寺近郊の医史跡も併せて巡るツアーにしてみたのだが、受講者のO先生が以前附近の歴史ガイドもなさっていたとお聞き...
名を好む心は学問の大魔なり
- 2022/10/11
- 18:33

中根東里墓(顕正寺/横須賀市東浦賀2-1-1)“南総之力”をゲットした翌日、横須賀は東浦賀の顕正寺に中根東里(1694~1765)の墓所を訪ねた。江戸中期の陽明学者で、若い頃、徂徠の門にも学んだことがある人である。伊豆下田の生まれで、名は若思、字は敬父(敬夫)、通称を貞右衛門といい、東里と号した。幼児に父を失った後、出家して宇治萬福寺の悦山道宗(1629~1709)に参じたが、正徳年間、江戸に出て荻生徂徠に師事し、のち室...
相良知安先生記念碑
- 2022/10/06
- 18:10

相良知安先生記念碑(東大病院内)昭和10年、東大病院内に石黒忠悳題額、入沢達吉選文による巨大な記念碑が建立されており、以前は池之端門看護師寮付近に在ったそうだが、東大病院創設150周年記念事業の一環として、新入院棟Aの玄関付近に移転していると聞き、昨年のちょうど今頃、上京の際に覗いて来た。当時はまだGoogleマップに所在のデータが入力されておらず、多少辿り着くのに苦労したが、現在はこの通り楽勝。藤棚の藤が碑...
【叢書・日本の思想家】全50巻
- 2022/08/19
- 18:08
明徳出版社と小林日出夫の想い出の150~153頁に、同社が1977年より刊行を開始した【叢書・日本の思想家】なる全50巻のシリーズが紹介されている。近世日本の思想界・教育界を動かした96人の思想家を採り上げた叢書であるが、現在に至るも未刊のままのものが数冊あるようだ。実のところ一冊も手に取ったことがなく、なんびとの人選か分からぬが、ここに挙げられた96人は其の多くが青木良仁先生命名するところの“易儒”であって、大半...
市原蒼海詩碑
- 2022/03/02
- 18:10

市原蒼海詩碑(大巌寺/千葉市中央区大巌寺町180)かつて汎日本易学協会に市原蒼海(1883~1972)という長老が居て、古い『易学研究』に啓発的な優れた論考を多数発表されているが、千葉県の龍澤山大巌寺境内に逝去の翌年建立された詩碑を見ることが出来る。裏面に刻まれた略歴によると、いすみ市の生まれで、大巌寺白寿会(老人クラブの類か?)の顧問として創立以来十年に渡り「人生百二十年」と題した講義を続けられた、とある。...
イソダマイル
- 2022/02/23
- 13:02

『易学大講座』は加藤大岳氏が自ら筆を執った著作ではなく、門人らの講義ノートを文字起こしして成ったもので、第一巻々頭を飾る序言の末尾に編集委員として六名が記載されているのだが、或いは此の配列は当時の岳麓精舎に於ける序列がそのまま反映されているものであろうか。そうすると、後で門下に加わった江藤幸彦氏が先輩格の紀藤元之介氏より先に来ているのはおかしいことになるが、単純に『大講座』への貢献度の順としても、...
八卦堂跡
- 2021/11/22
- 18:24

もとより観光にはさしたる関心を持たない為、既に上京回数は数十回に上るにも関わらず、未だに足を踏み入れていない観光地が少なくない。というよりもそういった場所には殆ど行ったことが無いという方が正しいようだ。そんな風であるから小石川後楽園も名前だけは随分前から知っていたものの、実際に探訪したのはようやく一昨年のことであった。といっても、別段庭園になど興味はなく、私の目当ては園内にある「八卦堂」である。閉...
消える無縁墓
- 2020/06/10
- 20:15

先日、取材で久しぶりに京都入りした際、旧本圀寺墓地である妙恵会総墓所に足を運んでみて驚いた。同墓所はちょうど二年ぶりであるが、墓地中央にあった二基の無縁塔のうち、東側の一基が処分されて、跡形もなくなっているのだ。上掲は初訪時の2009年に撮影したものである。グーグルマップの衛星画像ではまだ二基とも確認出来るが・・・御覧の通り旧本圀寺墓地には、かつて初代味岡三伯の門下四傑のうち、井原道閲と岡本一抱の墓所...
医家後藤家墓所整備事業のこと
- 2020/04/16
- 18:30

昨年から進められた医家後藤家の墓所整備事業では、まず、墓地内に散在する医家後藤家の各墓碑を一か所に纏める事が計画されたが、昨今あちこちで行われている壁際に一纏めにして押し込める無慈悲極まりない無縁整理のような事は勿論出来ないので、複数の移転先候補があった中から、上品蓮台寺側の意向を汲んで最終的に後藤栗庵の墓碑のあった区画に全ての墓碑を集める事に決定した。最初は、後藤艮山の墓碑を移動させずに、その周...
大慈院後藤艮山一族墓所整備なる!
- 2020/04/13
- 18:26

上品蓮台寺大慈院墓地昭和の一時期、江戸時代の先学先賢を顕彰する或る種のブームに沸いた時代があって、安岡正篤氏が関係した事業が多かったと聞いているが、医学分野では矢数道明先生が積極的に働きかけられ、漢方医家の墓所整備や顕彰碑建立があちこちで行われた。もっとも、最近では旗振り役の不在に各団体における財政状況の悪化、加えて目ぼしい人物は既にあらかた手が付けられた事もあって、あまり類似の顕彰事業は行われな...
荷田春満の墓
- 2020/02/22
- 09:16

荷田春満墓(在ノ山墓地/京都市伏見区深草藪之内町)現在進行中の或る医史学上の案件で木曜に今井秀先生と京都入りした帰り、伏見にある荷田春満の墓所を掃苔して来た。春満は伏見稲荷の社家・羽倉氏の出であり、墓所は伏見稲荷の南に隣接する在ノ山稲荷社祀官墓地の南東隅に在る(後ろに見えているのは市営深草墓園)。この辺りは行った事のある人なら直ちに合点が行くと思うけれど、とんでもなく道が狭くて運転して下さった今井...
鈴木由次郎先生墓所
- 2020/02/13
- 18:34

先月、東大および国学院の付属図書館を訪問して資料を渉猟した際、天気予報に反して小雨降りしきる中、中央大学名誉教授・鈴木由次郎先生(1901~1976)の墓所をビニール傘片手に掃苔して来た。鈴木博士と言えば、言わずと知れた我が国漢易研究の第一人者であるが、『周易参同契』や『太玄経』の訳書などもあり、以前目録学の先蹤『漢書』芸文志の訳註をご紹介したことがある。乾堂また漸庵と号したというが、如何にも易に傾注した...
薬井~医史跡番外編~
- 2019/11/26
- 19:40

薬井(奈良県北葛城郡河合町)奈良への行き帰りで毎度目にして気になった地名と言えば、雷火豊を彷彿とさせる蔀屋などがそうであるが、北葛城郡の薬井も何年か前から気になっていた場所であった。ただ、通りかかるのが大抵夜中であったことと、薬井交差点の付近には如何せん車をとめられる場所が皆無の為、かなり遠くに駐車してからの徒歩散策を強いられるから、中々機会を持てずに居たのだが、先日ようやく意を決して、わざわざ此...
遣唐使進発の地碑~医史跡番外編~
- 2019/11/23
- 21:13

遣唐使進発の地碑(住吉大社西大鳥居前)縁あって月に一度は、大阪の住吉大社に参拝させて頂いているのだが、年明け暫らくして参拝した際、西の大鳥居前に、えらく立派な石碑が建立されているのが目にとまった。平成三十年十二月に堺市の田中孝司という人が奉納したものであるという。これほど巨大な石碑を個人建立とは、どんな富裕層なのだろうかと思ったが、それよりも、恥ずかしながら、私はここが遣唐使船の船出の地であったと...