観相人物評論
- 2021/02/22
- 21:40
遥か遠い過去を仰いで其のうちにユートピアを見出すのはどうやら人間が持って生まれた宿命的な習性であるらしく、『黄帝内経素問』の首を飾る「上古天眞論」を観ても其の事が良く判るというものだ。しかし、化石人類の遺物を調べても「上古天眞論」で説かれているような長寿が上古に当たり前であったという証拠は見出す事が出来ず、結局は御伽噺の範疇と解する他なかろう。だから恐らくは、顔之推が近古以来もっとも精妙な卜筮者と...
成道山法輪寺様のHPに水野南北関連の写真を提供させて頂きました。
- 2019/04/14
- 12:17

かつて水野南北の墓所があった浄土宗成道山法輪寺の北村隆彦住職よりご連絡があり、同寺のHPを制作したので、出世不動明王の解説に、拙ブログに掲載されている水野南北先生・生誕二百周年記念法要(昭和32年11月10日)の写真を使用したいとのことで、掲載許可を求められた。断る理由など一つもなく、快諾させて頂いたが、もともと此の写真は徳風会の竹谷先生より提供して頂いたものである。法輪寺では、法要時から二代の代替わりを...
占い師の貧相
- 2017/10/14
- 10:44
少し前、街中をブラついていた際、偶然占い館の前を通りかかった。所属占い師の一覧が顔写真付きで表に貼り出してあったので、どれどれと思い、眺めてみたが、よくもまぁこんなに幸の薄そうな人ばかり選んできたなと思わざるをえない面構えがズラリと並んでいて、なんだか物悲しい気持ちになった。そこらを歩いている普通の人たちと比べても明らかに薄幸そうで貧乏くさい雰囲気を漂わせているが、本当にこんな人たちが迷える子羊た...
水野南北先生・生誕二百周年記念法要の様子
- 2014/12/12
- 19:27

昭和32年、水野南北の生誕200周年(南北の生年には宝暦7年説と宝暦10年説とがあり、この時は宝暦7年説から計算されたらしい)を記念して催されたのが「水野南北先生・生誕二百周年記念法要並びに遺徳顕彰講演会」で、これは紀藤元之介先生が中心となって挙行されたものである。第一部法要は法輪寺で開催されているが、この7年後に新御堂筋建設の関係で、同寺が尼崎に移ったことは以前にも書いたことがある。手元に、この法要の様子...
水野南北没後180年
- 2014/12/11
- 16:21

南北先生墳(金戒光明寺黒谷墓地)相聖水野南北の命日は天保5年11月11日であるが、これは現在のグレゴリオ暦に直すと1834年の12月11日になり、今日が没後ちょうど180年に当たる。当初、法輪寺を訪れて、ささやかな供養をさせて頂こうと、ご住職にも相談していたのだが、親知らずの抜歯手術がたまたま今日に決まってしまい、参拝が出来なくなってしまった。はなはだ不本意ではあるのだが、術後の安静を申しつけられている上、生憎の...
鷹堂忌
- 2014/06/18
- 13:16

永杜鷹一先生(昭和12~13年頃、芝区三田の自宅にて。田村浩一氏提供)本日、6月18日は、鷹堂永杜鷹一先生(1898~1946)の命日である。永杜先生については、昨年末に林文嶺(1831~1907)の顕彰碑を紹介した際に、続けて記事にしたから、ご記憶の方もおられると思う。永杜先生は、明治31年に岡山に生まれ、もと中島姓だったが、幼少の頃、田村家の養子となった。新聞記者を経て、熊崎健翁先生(1881~1961)率いる五聖閣の講師と...
『刀巴心青』八木喜三朗著を購入
- 2014/05/05
- 10:13

先月、東洋書院から復刊された八木先生の『刀巴心青』をようやく買って来た。正直な所、私は相法は専ら不得手であり、そもそもの関心の対象も病相望診に限られているから、色情人相学の類にはまるで興味が無いのだけれど、以前、八木先生の『刀巴心青』は、二代目玄龍子・目黒八朗先生の本の剽窃であるという話を聞いたので、それを確認したかったのである。結論から言って、その話はガセネタだった。そもそも、こんな狭い世界でタ...
『目黒玄龍子先生実占秘録』八木観相塾藏版
- 2014/04/04
- 18:33

『目黒玄龍子先生実占秘録』八木観相塾藏版私家版の『目黒玄龍子先生実占秘録』は、二代目玄龍子・目黒八朗先生の実際の観相を知る上で、極めて貴重な資料である。本書は、気血色の資料の適中率の統計をとるため、玄龍子先生と八木先生とで計画して、毎日大阪駅でビラをまいては、被占者を無料鑑定し、一枚は客に渡し可否をただして、得た実占記録の控えであるが、易占に限らず、観相も、実占の記録ほど学習者を裨益するものはない...
玄龍子先生、安らかに
- 2014/03/29
- 15:14

昭和30年・春日大社にて本日3月29日は、二代目玄龍子・目黒八朗先生(1905~1962)の命日である。ちょうど52年前の今日、先生は藤井寺市大井にあった御自宅で逝去された。56歳という短命であったが、その命を縮めた原因は、紀藤先生と同じく酒であった。玄龍子先生を直接に知る数少ない生き残りである麻野勝稔先生は、談話中に「あれだけの名人でも自分のことになると分らんもんかね」と仰ったことがあるが、安酒を大量に飲んでい...
八木喜三朗先生
- 2014/03/19
- 17:13

八木喜三朗先生(1901~1976)は、大阪で八木観相塾を主宰された人相学の大家であり、蒼流庵主人が親しくして頂いている麻野勝稔先生は八木観相塾の直門で、カラーブックスの本に記載されている子供の写真は全て麻野先生の提供に依るものだ。八木先生は二代目玄龍子の直門中、筆頭格の高弟であり、古い『実占研究』では、二人の対談が連載されていて、蜜月の関係を思わせるが、二代目の晩年に破門されている。破門の理由はさだかで...
蒙色望診と未病医学
- 2014/03/18
- 21:04

私は鍼灸にはまるで疎いのだけれど、古典的な鍼灸においては「瀉=鍼・補=灸」であり、鍼や灸にも用い方によって其々補瀉があるという考え方は、素問霊枢よりずっと下ってから出てきたものであると理解している。従って、全面的に灸法を用いる玄龍子流の蒙色治療を知った時には、正直なところ少なからぬ違和感を覚えた。しかし、今ではその違和感は私の中からすっかり一掃されているし、それどころか、蒙色望診こそ、東洋医学の理...
蒙色眼鏡
- 2014/03/17
- 20:22

その昔、竹安先生が作った蒙色眼鏡。私は現物を見たことがないので、何とも言えないが、一度作ったきりで、ロングセラーにはならなかったようだから、この些か法外な価格設定になっている眼鏡で、どれだけ蒙色が見えるようになるのかという気はする。一頃、オカルト雑誌の通信販売コーナーでよく見かけたオーラゴーグルのようなものだったのかもしれない。どうも、『実占研究』に広告されている竹安アイテムは、蒙色眼鏡にしろ健康...
ノイガンソフト
- 2014/03/16
- 23:08

ノイガンソフト(日本薬研製)オリジナルのノイガン軟膏(シークレットメグロ)が製造終了になった際、三代目は製法を公開されなかったが、竹安先生はノイガンを成分分析にかけ、類似の作用を持つ製品の開発を試み、その成果が「ノイガンソフト」である。ノイガンソフトの製造販売の為に立ち上げたのが、日本薬研株式会社で、1974年のことであった。ノイガンソフトは、シークレットメグロと全く同じという訳ではないのだが、特筆す...
“ノイガン”が出来るまで
- 2014/03/15
- 12:01

~~~~~~~~~~前略~~~~~~~~~~発明には苦心がつきもので、此のノイガンも、はじめは真黒な練り薬でした。それを厚さ1.5センチも布につけ、蒙色の出ている皮膚にペッタリ貼ったものでした。この薬は浸透力が強いので、すぐにカラカラにかわいて、真黒な塊がポロポロ落ち、白い肌着やシーツが忽ち汚れました。「良く効くけれど、真黒になるのは叶わない・・・・」と試用した人が苦情を言います。痛くて堪らないとき...
ノイガンのはなし
- 2014/03/14
- 21:40

蒙色望診は二代目玄龍子先生の創案であり、蒙色を消去する解蒙治療においては、灸法を用いられた。しかし、この玄龍子流の灸法はとてつもなく熱くて耐えがたい苦痛を伴うものだったらしい。三代目がインフルエンザに罹った際、御自身の背中を例の画像診断装置で撮影した写真を見せて頂いたことがあるが、最も私の注意を引いたのは、はっきりと写りこんだ蒙色の黒点ではなく、三代目の背中に無数に残された灸痕であった。子供の背中...