ナンバープレート立卦法
- 2013/11/29
- 23:59
麻野先生の十八番といっていいのが、車のナンバーから卦を起こす「ナンバープレート立卦法」である。単にナンバーを卦に置き換えるだけの方法で、やり方は単純といえば単純であるが、麻野先生はこの方法で多くの名占を行い、『実占研究』や『易学研究』に発表してこられた(勿論、先生が全ての立卦をこの方法に依っている訳ではなく、先生のメインの立卦法はあくまでも筮竹である)。たとえば「783」のような三ケタのナンバーで...
麻野勝稔先生
- 2013/11/28
- 17:06

『催眠術講義』紀藤元之介・麻野勝稔 講述, 1962年刊 麻野勝稔先生(1929~)は、存命中の紀藤先生の門下では最古参の先生で、蒙色八面体質論の竹安輝高先生(1928~1988)とほぼ同じ頃に入門されたそうだ。先生とは、四天王寺の易学供養塔護持会以外にも年に数回お目にかかって、色々お話を伺っている。麻野先生は、関西易学界の生き字引といっていい。四遍筮の数少ない継承者であるだけでなく、紀藤式催眠術においては唯一の継承...
妙見信仰
- 2013/11/22
- 19:53

青木良仁先生と共に参拝した閑臥庵(京都市北区)青木良仁先生のライフワークの一つが、妙見信仰の研究である。これは、私と共に鳥辺山(清水寺の麓にあり、漢方家の荻野元凱や和田東郭、儒者の浅見絅斎や陶工の青木木米らの墓がある)を散策した折、延年寺旧跡の北東にある妙見堂で亀甲石を見つけたことをきっかけに関心を持たれるようになったものである。妙見とは、北極星を神格化したもので、北辰信仰であるが、古代バビロニア...
青木良仁先生
- 2013/11/21
- 11:31
易学供養塔護持会で出逢った方の中で、もっとも親しく交流しているのは、青木良仁先生である。青木先生は占星術の大家で、神戸の魔女の家BOOKSから多くの訳書を刊行されており、昨年は旧著『ホロスコープ・リーディング』が新装版として復刊された。経典に詳しい仏教者でもある青木先生は、毎回易学供養塔での読経を担当されている。経典の収集を趣味とされており、京都に来る度に、御経屋(京都には僧侶を対象とした御経の専門店...
御幣
- 2013/11/20
- 11:43

先日の易学供養塔護持会で会長に進呈した焼酎が、上掲の「御幣」である。もとより日本酒しか飲まない蒼流庵主人であるが、数年前、武道仲間で酒器収集のライバルでもある東京の加賀井先生が大阪に来られた際、土産として頂戴したのが此の御幣で、良い意味での芋臭さが何とも味わい深く、以後、日本酒ライフの合間に時折差し挟んで楽しんでいる。御値段も手頃だし、容器の壷も外装も中々小洒落ていて、贈答にも適していよう。大阪で...
筮具ゲットだぜッ!
- 2013/11/19
- 16:42

先日の易学供養塔護持会の後、四天王寺近くの喫茶店で、木藤会長を囲んで談笑していた際、青木良仁先生がどんな流れであったか思い出せないものの「筮竹とか算木とかまともに買うと高いですねぇ~。もう少し安ければ買いやすいんですが」というような話題を持ち出された。それを聞いて「親父が他界したとき、何セットもあったけど、全部捨てちゃったねぇ~」と応じたのは、木藤会長で、それを聞いて一同「もったいなぁぁぁ~~o(T◇...
易学供養塔に合祀された先師先覚
- 2013/11/18
- 14:04

第三期工事を終えた易学供養塔(昭和48年10月10日)後左から宮嶋理事 渡辺理事 前左から弦理事長 紀藤会長 有馬常務理事易学供養塔には、歴史上易学に関わりのある先師先覚が大勢合祀されているが、『近代日本易学小史』発行当時の合祀者は以下の方々である。易・暦・天文・陰陽方術等を齎された来朝の恩人王仁・段楊爾・漢高安茂・施徳王道良・固徳王保孫・王柳貴・観勒易・暦法・天文・遁甲等を学習し世に...
近代日本易学小史
- 2013/11/15
- 19:25

四天王寺の易学供養塔建立を記念して、昭和48年に関係者に配られた小冊子。 易学供養塔以外にも昭和30年の真勢中州墓修復および生誕200年記念大法要昭和31年の高島先生顕彰碑建立昭和32年の水野南北生誕200年記念大法要昭和36年の新井白蛾顕彰および170回忌法要等についての記録が収載されており、生前の紀藤先生らの貴重なショットも載せられている。昭和30年以後の『易学研究』『実占研究』の抜粋記事を中心として構成されており...
易学会館
- 2013/11/11
- 18:28

紀藤元之介先生の晩年の活動拠点であった易学会館は、紀藤先生が今宮戎横の道路拡張工事に伴って住居を立ち退かれた際、代替地として貰い受けた土地に建てられたもので、昭和50年に完成し、晩年の凡そ六年間を此処で過ごされた。ここに易学関連の書籍を集めて、易学図書館にすることが先生の悲願であったが、早すぎた先生の逝去後、易学会館は人手に渡り、その後は弁理士事務所として使われたという。不思議なことに、一般人には限...
今東光先生の墓
- 2013/11/10
- 21:45

今東光墓(寛永寺第三霊園)今東光(1898~1977)といえば、一般には直木賞作家であり、中尊寺の貫主を務めた仏教者であり、参議院議員を務めた政治家としても知られている。しかし、我々易学徒にとっての今東光先生は、何といっても『今氏易学史』の著者として記憶されている。1941年に紀元書房より刊行された此の書物は、中国に於いても易学の通史として纏ったものがなかったため、北京大学で翻訳紹介され、高い評価を受けたもの...
天台易学塾
- 2013/11/09
- 19:34

八尾市西山本町にある紫雲山天台院近鉄大阪線河内山本駅の近くにある天台院は、文観上人開基とされる古刹で、かつては天台宗の高僧の隠居寺であったという。昭和26年に天台宗総本山延暦寺座主の直命により、今東光氏が特命住職として赴任し、翌年1月から今東光氏を塾主、紀藤先生(この頃は木藤春厳と名乗っておられた)を塾頭として「天台易学塾」が開講となり、2月から紀藤先生が易の講習を始められた。故渡辺観岳先生(元実占研...
金龍神社
- 2013/11/08
- 16:51

金龍神社(春日大社第11番納札社)春日大社の福の神十二社巡り第十一番納札社である金龍神社は、春日大社に奉職されたこともある紀藤元之介先生が整備再興に尽力されたもので、金龍大神を御祭神とし、一般には開運財運の神様として信仰を集めているが、これを易神として易術の向上を願って参拝する御仁も少なくないらしい。金龍神社横にある後醍醐天皇聖蹟金龍殿址1331年(元弘元年)の元弘の変(後醍醐天皇による鎌倉幕府の倒幕計...
紀藤元之介先生
- 2013/11/06
- 13:55

演壇に立つ紀藤先生四天王寺に供養塔を建立された紀藤元之介先生(1918~1981年)は、加藤大岳先生(1907~1983年)の戦前からの門人であり、大阪に移られてからは実占研究会を主宰されて、関西の易学界をリードされた人物である。 四遍筮法(元之筮法)と呼ばれる独自の筮法を考案したことでも有名であり、これは本卦と之卦を別々に立卦する方法で、他の筮法に比べて自由度の高い得卦となることに特色がある。紀藤先生は、大阪で...
四天王寺易学供養塔護持会
- 2013/11/03
- 19:17

易学供養塔今日は四天王寺で年一回営まれる易学供養塔護持会の法要の日である。年に一度の楽しみである此の法要への参列が、蒼流庵主人の易人生における大きな転機となった。開眼法要で挨拶する紀藤先生(1971年)易学供養塔は、正式名称を易学先師先覚合祀供養塔といい、紀藤元之介先生が中心となって四天王寺の墓地に建立されたもので、聖徳太子から高島嘉右衛門まで、少しでも易に関わりのありそうな人物が片っ端から合祀されて...
いわゆる岳門の弊風について
- 2013/11/02
- 15:39

加藤大岳氏といえば、“昭和の易聖”と称される易占の大家であり、維新以後前近代的な遺物と蔑視されていた易に近代化の光を当て、「現代易」とも呼ばれる体系を完成させ、昭和の易学界を牽引した其の功績は測り知れないものがある。蒼流庵主人は、大岳流の系譜に連なるものではないが、紀元書房刊行の著述は勿論、雑誌掲載の記事に到るまで加藤大岳の名が刻まれた文章のほとんどに目を通してきたから、その影響を多分に被っているこ...