『傷寒論辞典』劉渡舟主編
- 2014/08/31
- 13:45

『傷寒論辞典』劉渡舟主編(解放軍出版社/1988)以前、日本には易経学習者の為の辞典が無いことを憂い、読者諸賢の為に『易学大辞典』という書物を御紹介したことがある。事情は『傷寒論』についても同様で、日本では註解書は何冊も出ているけれど、字引の類は一冊も無い。そこで、今回も中文書を紹介せざるを得ない訳だ。この分野の字引として、私の手元には、『傷寒論研究大辞典』傅延齢主編(山東科学技術出版社/1994)、『傷寒...
『傷寒論今釈』陸淵雷編著
- 2014/08/30
- 10:40

『傷寒論今釈』陸淵雷編著陸淵雷先生(1894~1955)は、中華民国の時代に主として上海で活躍した人で、中西医学結合を目指した中医学者の一人であるが、今回は主著の一つ『傷寒論今釈』を御紹介する。日本では明治期に漢方医学が制度的に駆逐されたが、逆に中国では江戸時代の医学書を輸入するようになり、特に陰陽五行を否定する古方派の著作が、反って伝統医学の近代化に寄与するものとして有難がられたらしい。陸淵雷先生もその...
『傷寒論脉法研究』王占璽編著
- 2014/08/29
- 18:39

『傷寒論脉法研究』王占璽編著(科学技術文献出版社/1980)『傷寒論』には、様々な脈の記述があるが、これが中々難しい(尤も『傷寒論』に限らず、脈診というのは難しいものなのだが)。浮は表で沈は裏、数は熱で遅は寒、という風に脉証の基礎を覚えるけれど、『傷寒論』の本文を読むと兼ねる脉によって、随分バリエーションがあることに初学者は面食らう。ところが此処に、北京の経方家・王占璽氏の編著に成る『傷寒論脉法研究』...
『日本醫家傷寒論注解輯要』郭秀梅、岡田研吉編
- 2014/08/28
- 18:08

『日本醫家傷寒論注解輯要』郭秀梅、岡田研吉編(人民衛生出版社/1996刊)本書は、『傷寒論』中の語彙に対する江戸時代の医家の註を集めたものである。条文の註解というよりも、単語の文字的な解釈と考証が中心の内容になっており、多分に考証学的な書物である。細かな字句を詮索したい人には、うってつけの本だろう。原本の入手が困難な註解書からの引用も多いので、日本人の傷寒論研究者なら特に座右には置いておきたい。本書刊...
『傷寒論語譯』任応秋編著
- 2014/08/27
- 18:04

『傷寒論語譯』任応秋編著(上海衛生出版社/1957年)現代中医学の基礎を作った偉大な老中医の一人でもある任応秋先生(1914~1984)の『傷寒論語譯』は、1957年の刊行であるから、随分古い本であるけれど、出版部数が多かったのか、古書価はそれほど高くなく、入手も難しくない。先に紹介した二著に比べ、頁数はずっと少なくて僅か340頁に満たないが、反って解説がすっきりしているのが良い。...
『傷寒論』熊曼琪主編
- 2014/08/26
- 17:44

『傷寒論』熊曼琪主編(人民衛生出版社)編著者の熊曼琪先生(1938~)は日本では知名度が低くて殆どその名を知られていないが、広州中医薬大学の首席教授で、傷寒論の大家として知られており、糖尿病研究の権威としても著名な人物である。粟島先生は早くから交流を持っておられ、中国の学者の中では最も親しく付き合っておられた。版が大きくてやや扱い辛いが、提要・釈義・撰注とよく纏まっているようだ。下篇には種々の鑑別表が...
『傷寒論訳釈』南京中医薬大学編著
- 2014/08/25
- 18:42

『傷寒論訳釈』第四版(南京中医薬大学編著)『傷寒論』を読まれる方の為に、何冊か参考になりそうな本を御紹介してみたい。とはいえ、今更、大塚先生の『臨床応用傷寒論解説』や奥田先生の『傷寒論講義』を取り上げても芸が無いので、今回は日本ではあまり紹介されることのない中文書から選んで御紹介する。今日、御紹介するのは、南京中医薬大学編著の『傷寒論訳釈』である。1959年の初版以来、半世紀を超えてロングセラーとなっ...
医聖漢張仲景先生之碑(常泉寺)
- 2014/08/24
- 14:04

医聖漢張仲景先生之碑(常泉寺・墨田区向島3-12-15)向島は常泉寺にある朝川善庵(1781~1849)の墓碑は、以前易儒墓参録の中でご紹介したが、その際、同寺に張仲景の顕彰碑があることについても少し触れた。この医聖漢張仲景先生之碑と刻まれた顕彰碑は、高さ六尺(182センチ)もある立派なもので、出雲の儒医・滝清敬が、当時日本全国の漢方医有志百余名の寄金を募り、文政10年(1827)に建立したものである。約1200字の碑文は、す...
『善本翻刻 傷寒論・金匱要略』(日本東洋医学会刊)
- 2014/08/23
- 15:16

北宋校正医書局・林億らの校訂を経て、治平2年(1065)に『宋板傷寒論』は世に出た。この書は文字の大きさから「大字本」(一文字がコイン大でB4版ほどの大型本)と呼ばれたが、高価なものであった為、元祐3 年(1088)勅命によって二種類の小型版、いわゆる「小字本」(B5弱の小型本)が廉価で出版されることになる。これら三種の北宋板傷寒論は、いずれも今日伝わらないが、小字本に由来するものとして、明の趙開美が『仲景全書...
傷寒論における範疇理論
- 2014/08/22
- 19:05

先述の山元章平先生は、康治本傷寒論をテキストにして指導されていたが、先生には“範疇理論”と名付けた独自の理論があった。この範疇理論は、傷寒論を新しく体系付けしようとする試みで、症候を十二範疇に分類し、陰陽を寒熱緩緊、三陰三陽を肌・腸・胸の寒熱に分別し、処方構成を寒熱、気血水説によって整理するもので、病の筋道=“病道”を把握することに主眼を置いている。山元先生は吉益南涯(1750~1813)の気血水の説に特に影響...
康治本傷寒論について
- 2014/08/21
- 18:13
康治本傷寒論は、一説には最澄によって我が国に齎されたとも言われるテキストで、これを最古本のテキストと考える人も居り、最近の研究書としては『康治本傷寒論の研究』長沢元夫著(1982)、『傷寒論再発掘』遠田裕政著(1995)などがある。康治本は、条文数が僅かに65条に過ぎず、宋板に慣れた学習者には甚だ物足りないものであるが、それは逆手にとれば取っ付き易さという点で初学者への導入に甚だ便利なテキストでもある。康治...
康平本傷寒論について
- 2014/08/20
- 18:00
『康平傷寒論』は昭和11年の秋に、大塚敬節先生(1900~1980)が東大正門前の井上書店で見つけた傷寒論のテキストで、奥書に「康平三年二月十七日 侍医丹波雅忠」とあるによって、“康平本”や“康平傷寒論”の名で知られ、一説には空海が長安にて筆写して持ち帰ったものともいう。今日我々が読んでいる『傷寒論』は、北宋の時代に林億らの校訂を経て出された所謂宋板で、宋改のもとになった原本はおろか、宋板そのものすら現存していな...
『傷寒論』の種々のテキストについて②
- 2014/08/19
- 18:27
医史学に特別の関心を持たない臨床主体の漢方家にとって、『傷寒論』流伝の歴史と其の考証は、何が何やらさっぱり解らない奇怪なまでの難解さを持つ。とはいえ、底本の選択は研究の根幹に関わる主題であり、おざなりにすることは勿論出来ない。私も専門的にこれ等のテキストを追いかけて来た訳ではないので、浅薄な耳学問に過ぎないけれど、その耳学問の備忘録を以下に記しておく(誤りがあれば御指摘頂きたい)。古く『肘後方』『...
『傷寒論』の種々のテキストについて①
- 2014/08/18
- 18:24
医書に限らず、写本によって伝えられた古典というものは、度重なる伝写によって多くの異本が生まれる宿命を持ち、『傷寒論』とてその例外ではない。今日、張仲景の手になる医書は、『傷寒論』と『金匱要略』の二書が知られ、前者は急性病の治方を載せ、後者は雑病についての書とされているが、初めは『傷寒雑病論集』(傷寒卒病論集とする説も)という一つの書物だったと言われている。張仲景の手になるオリジナルは早くに散逸して...
張仲景について
- 2014/08/17
- 16:46

『傷寒論』の著者である張仲景は、後漢の時代に長沙で太守をしていたという。太守というのは今の県知事のようなものだと大塚敬節先生は説明しているけれど、実際には軍隊を動かすことが出来たので、県知事よりも強力な権限を持っていたようだ。張仲景といえば長沙、長沙といえば張仲景ということで、江戸時代の医書を見ると、仲景を長沙翁と呼び、その薬方を長沙方と記しているものも少なくない。しかし、『後漢書』や『三国志』に...