本間棗軒の墓~茨城漢方史跡~
- 2014/12/15
- 18:10

本間棗軒墓(常磐共有墓地/茨城県水戸市松本町13-34)本間棗軒(1804~1872)は、文化元年に常陸小川村に生まれ、名は資章・救、字は和卿、通称を玄調といい、棗軒と号した。医師本間玄有の男であるが、本間道偉(1787~1866)の養子となり、本間姓となった。初め原南陽(1752~1820)に学び、次いで江戸の杉田立卿(1787~1846)に西洋医学を、大田錦城(1765~1825)に漢学を学び、さらに京都の高階枳園(1773~1844)に従学。文...
原南陽の墓~茨城漢方史跡~
- 2014/12/14
- 11:53

原南陽墓(酒門共有墓地/茨城県水戸市酒門町320)原南陽(1753~1820)は、宝暦3年に水戸藩の侍医原昌術の長男として生まれ、名は昌克、字は子柔、通称を玄与・玄貞・玄春といい、叢桂亭・南陽と号した。幼より儒を伯父の戸崎淡園に、医を父に学ぶ。父昌術が没して21歳で家督を継いだ後、京都に遊学し、山脇東洋の子・東門に古医方を、賀川玄迪より産科学を学んだ。帰郷後は水戸藩侍医となって、医療と後進の指導にあたり、文政3年...
キリ番プレゼント~11111~
- 2014/12/13
- 18:05

11111のキリ番をゲットされたのは、蒼流庵主人とも面識がある鍼灸家のS先生であった。知り合いにゲットされるのは、いささか面白くないというのが偽らざる真情なのだが、当選は当選である。S先生は、まだ鍼灸学校を出て数年の若手臨床家であるが、修行のために関東から移住され、関西にて研鑽を積まれている。こちらに来られてからの御苦労は並々ならぬものがあったらしいが、不屈の精神を以て今日まで耐え抜いてこられた。進取果...
水野南北先生・生誕二百周年記念法要の様子
- 2014/12/12
- 19:27

昭和32年、水野南北の生誕200周年(南北の生年には宝暦7年説と宝暦10年説とがあり、この時は宝暦7年説から計算されたらしい)を記念して催されたのが「水野南北先生・生誕二百周年記念法要並びに遺徳顕彰講演会」で、これは紀藤元之介先生が中心となって挙行されたものである。第一部法要は法輪寺で開催されているが、この7年後に新御堂筋建設の関係で、同寺が尼崎に移ったことは以前にも書いたことがある。手元に、この法要の様子...
水野南北没後180年
- 2014/12/11
- 16:21

南北先生墳(金戒光明寺黒谷墓地)相聖水野南北の命日は天保5年11月11日であるが、これは現在のグレゴリオ暦に直すと1834年の12月11日になり、今日が没後ちょうど180年に当たる。当初、法輪寺を訪れて、ささやかな供養をさせて頂こうと、ご住職にも相談していたのだが、親知らずの抜歯手術がたまたま今日に決まってしまい、参拝が出来なくなってしまった。はなはだ不本意ではあるのだが、術後の安静を申しつけられている上、生憎の...
未病医学シリーズ
- 2014/12/10
- 22:38

粟島先生が正しい未病医学の普及を目的として刊行を続けられたのが、未病医学シリーズ(MIC)である。このシリーズは、いずれも100頁に満たない小冊子であるが、毎回異なったテーマを扱い、平明に未病医学を解説したもので、多くは各疾病の現代医学的解説と古典漢方的解説とを織り交ぜたものであった。現代の医師や薬剤師が易しく漢方的考え方に親しめるようにとの配慮であろう。1冊目の『子宮筋腫のはなし』は、春光苑薬局の管理...
『史記』を読む
- 2014/12/10
- 18:37
江戸時代の医書を読んでいて意味の取り難い個所の中には、「扁鵲倉公列伝」からの引用である場合が時にあるようで、粟島先生は是非とも目を通しておくべき文献であると強調されていた。私が読む時には、粟島先生の訳解に拠っているが、これは講座のテキストとして用いられたもので、公刊されたものではないから、一般の読者諸賢は利用出来ない。そこで、何か代わりにオススメ出来るものをと思ったが、一番よく読まれている岩波文庫...
『夜鳴く鳥』山田慶児著
- 2014/12/09
- 23:12

『夜鳴く鳥』山田慶児著(岩波書店/1990年刊)扁鵲は、中国医学史上最高の名医とされ、医聖張仲景も『傷寒論』の序文において「余、越人の虢に入るの診、齊侯の色を望むを覽る毎に、未だ嘗て慨然として其の才の秀でしを歎ぜずんばあらざるなり。」と最大級の賛辞をお送り、神農や孫思邈をさえこきおろして憚らなかった安藤昌益でさえ、『難経』を批判しつつも扁鵲の名医であることを認めるのに吝かではなかった。ところで、扁鵲は...
望齊侯之色~『史記』扁鵲倉公列伝より~
- 2014/12/09
- 18:16

『傷寒論』序文より扁鵲が齊の桓公の所に歓迎されて厄介になっていた。或る日、桓公の顔を見て、「あなたは、今病気である。今は身体の表面に病気があるが、やがて奥に侵入して、もっと悪くなるだろう。早く治療した方がよい。」と言った。しかし、桓公は「私は病気ではない。」と言って、不愉快な顔をした。扁鵲が退出してから、重臣を顧みて、「現代の医者というものは、浅ましいものよ。病気でもないものを病気だといって、自分...
未病について②
- 2014/12/08
- 18:48

東洋医学の病理概念のなかに未病という言葉があります。病気と言うほどではないけれど、病気に向かいつつある状態のことです。例えば、手足の冷えや体の疲れ、胃腸の不調。それは病気のサインかも知れません。未病は病気と言うほどではないけれど、健康でもない状態のこと。健康診断や、検査などで異常がなくても、自覚症状がある場合は、未病の状態である可能性があります。この薬用養○酒の宣伝を粟島先生は殊の外憤慨されていた...
未病について①
- 2014/12/07
- 14:06

ありし日の粟島先生数ある東洋医学の用語の中で、“未病”という言葉ほど、誤って認識されているものも少ない。これは日本だけでなく中国でさえ同様らしく、粟島先生はその是正のために、中国各地の中医薬大学に赴いて討論会を開き、真の未病医学について発信を続けられた。振り返ってみれば、先生の八十余年の御生涯は未病医学の普及に捧げられたものと言って過言ではない。現在、未病に対する理解は以下の2パターンに分けることが...