『大増補字林玉篇大全』三浦道斎増補
- 2015/08/30
- 12:05

『大増補字林玉篇大全』三浦道斎増補(1856年初版)江戸時代の医書を紐解こうとする際、読解者を悩ませる厄介なものが、異体字である(異体字は何も江戸時代の書物に特有のものというわけではないのだが)。本来は馴染みのある如何ということのない字なのだが、姿形が違っているために、普通の漢和辞典では引くことが出来ない。ハンディな辞書には載っていないのかと不安になって、網羅性が取り柄の諸橋大漢和を引くがここにも記載...
大漢和さへ…
- 2015/08/27
- 20:24

漢字は表意文字であるから、字形と發音とのほかに字義を有する。ところが、わが國で使はれてきた、漢字の音は、原音がなまつて、國人が發音しやすいやうに變化したものであり、訓に至つては、漢字にあてた日本語で、字義とは必ずしも一致しない。さらに、漢字の構成法にもとづいて、わが國で新らしく作られた、國字とよばれる、漢字めいた文字があり、その中には、原有の字形と偶然一致したものがある。であるから、訓のみにたよつ...
『全訳漢辞海』戸川芳郎監修
- 2015/08/25
- 20:03

『全訳漢辞海』戸川芳郎監修(三省堂/2000年初版)立て続けに古めかしい辞書を紹介したので、最近の漢和辞典をと思い、選んだのが又もや三省堂の『全訳漢辞海』。最近のとは言っても、すでに初版から15年経っているのだが。監修は、我らがマエストロ奈良場の師である戸川芳郎先生(1931~)。本書は現在、第三版(2011年)まで出ているのだが、初版が出た際には、画期的な漢和辞典として騒がれたものという。類書に例がないほど徹...
『支那文を読む為の漢字典』田中慶太郎編訳
- 2015/08/21
- 21:19

『支那文を読む為の漢字典』田中慶太郎編訳(研文出版/1940年初版)今日ご紹介するのは、漢文の上級者やプロに愛好家の多い辞書で、ちょっと通ぶりたい時にも書架に揃えて置きたい本だ。本書は、ちょうど今から100年前の中華民国4年(1915)上海商務印書館で発行した陸爾奎/方毅共編の『学生字典』を邦文に翻訳して若干の増補を加えたもので、収録字数は僅かに8000字程度に過ぎず、網羅性などある筈は無いのだが、不思議な位に知り...
『新漢和中辞典』長澤規矩也編
- 2015/08/18
- 18:40

『新漢和中辞典』長澤規矩也編(三省堂/1967年初版)漢方だろうと易学だろうと、漢文で書かれた古典を勉強しようとする時に、真っ先に必要になって来るのが、漢和辞典である。漢和辞典に限らず、辞書辞典の類は、どのような学習分野においても必要欠くべからざるものであるが、初学者の眼にはどれも似たようなものにしか映らないから、その選択は中々に困難を伴う。そこで、いくつか私が普段用いている辞書をご紹介したい。私が一...
名古屋玄医と易学
- 2015/08/14
- 11:55

私の関心の中心は、蒼流庵随想の副題にある通り、漢方と易学である訳だが、江戸時代の医学史を鳥瞰するに、易学は時代が下るにつれて重んじられなくなっていったのではないかという気がする。明確な線引きをすることは難しいが、易理を基盤とする医説を排撃した代表格は何と言っても吉益東洞で、その後古方派というものが大きな潮流を生み出して行くにつれ、陰陽五行を重視する後世方派の地位は相対的に低くなって、易学の地位もま...
六君子湯々呑
- 2015/08/10
- 19:36

以前交流のあった漢方薬剤師(中医学)から貰った「六君子湯々呑」。ツムラの粗品らしく、よくある量産品の作りだが、有難過ぎて使えない神農湯呑より、普段使いには向いているかもしれない。とは言え、いまだに未使用なのだが。六君子湯以外のバージョンもあったらしく、他にどんな意匠があったのか少し気になるところだ。文句は浅田宗伯の『勿誤薬室方函口訣』より。比べてみると、人參の意匠など、神農湯呑の方がずっと生薬らし...
神農湯呑・新作
- 2015/08/06
- 18:28

神農湯呑(橋本よし子先生作)染付作家・橋本よし子先生の作品は、昨年の日記で神農を題材にしたマグカップや湯呑をご紹介しているが、今回は先生の独特の作風を封印して頂き(これには随分御不満があったとか)、よりノーマルなデザインの湯呑を作って頂いた。実は、4月に秩父で講演させて頂いた際、さきたまオケラの会の大友一夫先生へのお土産としてオケラ(朮)をデザインに取り入れた湯呑をお願いしたのだが、この出来栄えが...
形見分け
- 2015/08/03
- 18:59

御遺族からお申し出があり、5月に逝去された広瀬宏道先生(1925~2015)の御遺品として、先生の研究ノート3冊を貰い受けた。半世紀もの間、数々の名占を生み出して来た筮具は、先生と共に荼毘に付され、易学関連のものとして唯一残された御遺品である。最初は少し躊躇したのだが、御多分に漏れず、御親族は何方も易を嗜まれないということだったので、捨てられるよりはと思い、頂戴した次第。何かの書物の抜き書きに批評を加えられ...