2015年の大勢占を振り返って
- 2015/12/31
- 13:56

本年最後の記事では、年初に筮した今年の大勢占について、振り返ってみたいと思う。私にとっては大勢占は初めての試みだったが、全体としてはまずまず好成績を収めたと言って良いのではなかろうか。①の「世界の大勢」では、豊之師を得て、年の後半に起きる戦争乃至紛争の類を予想し、初爻から四爻に変爻を見たことから、北半球を考えたが、11月13日には130名が死亡したパリ史上最悪の同時多発テロが起こった。イスラム国絡みのテロ...
陰陽町
- 2015/12/30
- 10:53

近鉄奈良駅から南へ伸びる商店街を突っ切ってしばらく行った一角に、「陰陽町」という町名の場所があって、かつて陰陽師たちが住んでいた名残だという。15世紀頃に出来たと言われる地方暦の一つ南都暦(奈良暦)はこの辺りで作られていたらしい。陰陽町7番地にある奈良町からくりおもちゃ館に掛っていた表示板。この施設は、奈良大学名誉教授・鎌田道隆氏(1943~)より奈良市に寄贈されたおもちゃ類を展示しており、何と入館料...
頭塔
- 2015/12/29
- 00:28

頭塔(奈良市高畑町921)奈良教育大を出て向かったのが、高畑町にある其の名も「頭塔」である。この奇妙な、しかし異様な迫力を放つ建造物は、古くより奈良時代の僧・玄昉(?~746)の頭を埋めた墓との伝説があり、その名の由来とされて来たが、本来の土塔(どとう)がなまって頭塔(ずとう)と呼ばれるようになったらしい。神護景雲元年(767)に、東大寺の僧・実忠(726~?)が、土塔を築いたことが古文書に記録され、それが頭...
マエストロ青木 with 蒼流庵 in Nara
- 2015/12/28
- 23:59

占星術の大家・青木良仁先生との年末の関西散策が、恒例の行事となって早くも5年になる。2010年暮れの真勢中州掃苔に始まり、多くは京都で御一緒したように思うが、最近は候補地も少なくなって、今年は初めて奈良を歩くことにした。10時に近鉄奈良駅で待ち合わせたが、構内でふと視線を落とすと、写真の方位図が描かれているのに気付いた。どうせなら、それぞれの色の配当を五行に合うようにすれば良いのにと思いながらぼんやりと...
『思い出すこと忘れえぬ人』桑原武夫著
- 2015/12/24
- 18:23

『思い出すこと忘れえぬ人』桑原武夫著(文藝春秋/1971年刊)筑摩叢書の『人間素描』があまりにも良かったので、同著者の『思い出すこと忘れえぬ人』を注文。『人間素描』が、個人別の回想になっていたのに対し、本書は著者の半自伝的な内容となっている。したがって、本書は著者の人生の折々に登場する人々については触れるが、あくまでも主体は自分史である為、個人個人に関してはあまり深く掘り下げず簡単な紹介に終始するから...
形の文化会第63回フォーラム&術数学合同研究会
- 2015/12/20
- 22:39

昨日、京大の人文科学研究所にて開催された「形の文化会第63回フォーラム&術数学合同研究会」に参加して来た。普段は別個の会なのだが、今回は年末だからか合同で開催となったものらしい。形の文化会なる研究会の存在を今回初めて知ったのだが、HPを覗き見ても、抽象性が高くて何をしている会なのか、庵主にはどうも解りかねた。ただ、何やらギリシャ哲学がらみのもの・・・らしい。人文研で開催されている研究会には過去何度か出...
『人間素描』桑原武夫著
- 2015/12/18
- 18:02

『人間素描』桑原武夫著(筑摩叢書版)本日ご紹介する『人間素描』は、東洋学についての書物という訳ではないのだが、蔵書中でも取り分け好きな一冊で、著者は先にご紹介した桑原隲蔵の令息である。桑原武夫(1904~1988)は父親と違って仏文の世界に進んだ。谷沢永一(1929~2011)などに言わせると学問的には大した達成があるという訳でもないらしいが、著者には人物論の名手というもう一つの顔があって、その名人芸は、本書『人...
『東洋文明史論』桑原隲蔵著
- 2015/12/15
- 20:42

『東洋文明史論』桑原隲蔵著(平凡社/1988年刊)平凡社の東洋文庫に桑原隲蔵の『東洋文明史論』という本が入っていて、こちらは現在オンデマンド版が出ているようだ。書評を含む五篇の論考が収載されているが、何といっても本書の眼目は、古代において文化の中心であった淮水以北の地域が、晋室の南渡以後衰退して、淮水以南の地域が重要性を増して遂にその地位を逆転するに至る過程を論じた「歴史上より観たる南北支那」で、続く...
『中国の孝道』桑原隲蔵著
- 2015/12/12
- 11:35

『中国の孝道』桑原隲蔵著(講談社学術文庫/1977年刊)門下の宮崎市定の著述が多く文庫化されているのに比べ、師である桑原隲蔵の著述は随分昔に『中国の孝道』が講談社から文庫化されたのみである。それも89年の三刷を最後に品切れ状態となっているようで、桑原隲蔵の名は一般の知識人の間でも徐々に知られざる存在となってきたようだ。本書は、表題通り中国社会を貫く孝道、つまり孝行の道について解説したものである。しかし、...
桑原隲蔵の墓
- 2015/12/09
- 18:02

桑原隲蔵墓(金戒光明寺/京都市左京区黒谷町121)金戒光明寺の狩野直喜墓所の近くには、同じく京都支那学の創成期に活躍した桑原隲蔵(1871~1931)の墓所もある。桑原隲蔵は、明治3年に和紙製造業者だった桑原久兵衛の次男として越前国(福井県敦賀市)で生まれた。兄が家業を継ぎ、弟は時計屋になったが、次男の隲蔵は飛びぬけて成績が優秀だったことと身体虚弱につき労働には適さぬと考えられた為、学業を続けることが出来た。...
狩野直喜の墓
- 2015/12/06
- 20:46

狩野直喜墓(金戒光明寺/京都市左京区黒谷町121)狩野直喜(1868~1947)は、明治元年に熊本で生まれ、字は子温といい、君山・半農人・葵園と号した。東京帝国大学の漢学科(当時、根本通明も教壇に立っていた)に入学して、考証学に秀でた島田篁村(1838~1898)に師事。篁村は、先に紹介した海保漁村や安積艮斎の門人である。明治32年、文部省の命を受けて清国に留学し、翌年、義和団事件に遭遇した。明治39年、新設されたばかり...
山井崑崙の墓
- 2015/12/05
- 08:45

山井崑崙墓(善福院/和歌山県海南市下津町梅田271)山井崑崙(1690~1728)という大変偉い学者の存在を私に教えてくれたのは、狩野直喜の『御進講録』だった。和歌山出身の此の大儒は、京都で伊藤東涯に、江戸に下っては荻生徂徠に学んでいる。『七経孟子考文』(七経とは五経に『論語』と『孝経』とを加えたもの)という著述があって、これは明以来の経書注疏の版本における文字の誤りを正したものだが、これが主家から八代将軍吉...
『御進講録』狩野直喜著
- 2015/12/02
- 18:54

『御進講録』狩野直喜著(みすず書房/1984年刊)今日ご紹介する『御進講録』は、著者が大正末から昭和初頭にかけて先帝陛下の御前で行った御進講の草稿より文を起こして公刊されたものである。狩野博士の御進講は、大正13年1月に始まり、昭和2年の9月・10月、昭和4年の11月と前後4回行われ、内容はそれぞれ「尚書堯典首節講義」「古昔支那に於ける儒学の政治に関する理想」「我国に於ける儒学の変遷」「儒学の政治原理」で、選ばれ...