国文学研究資料館 電子資料館
- 2016/06/29
- 18:45

国文学研究資料館が公開しているデータベースは「日本古典籍総合目録データベース」だけに止まらない。電子資料館データベースのページには、何やら有用そうなデータベースがズラリと並んだ一覧がある。“何やら有用そうな”としか書けないのは、私自身が国文学に疎い為に、利用経験が「日本古典籍総合目録データベース」と「古事類苑データベース」に限られているからに過ぎない。読者諸賢の中には、易学や東洋医学といった諸学が我...
日本古典籍総合目録データベース
- 2016/06/28
- 18:33

1963年から1972年にかけて刊行(索引は1976年刊)された岩波の『国書総目録』は、慶応三年(1867)までに出来た本のうち、日本人が編著者である約50万点を書名順に目録化した本で、我が国の古典籍を研究する上で無くてはならぬレファ本である。記載情報のうち殊に重要なのは所在場所に関するもので、今日ではデジタルライブラリーで無償公開されている古典籍も随分あるから、ただ読むだけなら以前ほどこの目録の出番も無くなったと...
正史芸文志・経籍志テキスト
- 2016/06/24
- 18:20

『中国歴代芸文志』は読み辛い上に索引もないので、目当てのものを探し出すには骨が折れる。中國哲學書電子化計劃を利用するというのも一つの手だが、庵主が好んで用いているのは写真の正史芸文志・経籍志テキストシリーズで、勝山稔先生の(1966~)の「北海道漢籍データベース」中のコンテンツだ。「北海道漢籍データベース」は現在閉鎖されているようだが、テキストファイルがアップされているコンテンツは幸いまだ生きているよ...
『中国歴代芸文志』大光書局編譯所編輯
- 2016/06/21
- 18:52

『中国歴代芸文志』大光書局編譯所編輯(国会図書館デジタルコレクションより)目録には、学者や個人の蔵書家が私に作ったものがあり、これらも研究上重要な情報を提供してくれるものには違いないが、やはり目録の基本は、正史に附された芸文志・経籍志の類である。勿論、それぞれの出来不出来には相当な差があるのだが、やはり歴代の書物を調べていこうとする場合、先ずこれら正史中の書目に目を通すのがセオリーであろう。しかし...
『漢書芸文志』鈴木由次郎訳注
- 2016/06/18
- 16:36

『漢書芸文志』鈴木由次郎訳注(明徳出版社/1968年刊)正史に芸文志経籍志を附すことは班固の『漢書』に始まるが、目録学の興りは、前漢末の劉向・劉歆の父子で、各々著すところの『別録』『七略』がそれである。劉向が編んだ『別録』は二十巻あったと云われ、劉歆がこれを省略して作成したのが『七略』であるが、共に唐末五代の乱に亡んだという。しかし、『漢書』芸文志は『七略』をもとにして書かれており、班固が増減したり、...
『目録学』倉石武四郎述
- 2016/06/15
- 18:02

『目録学』倉石武四郎述(汲古書院/1979年刊)何か目録学についての良質な入門書を御紹介しようと思い、書棚を見渡して直ぐに手が伸びたのは、内藤湖南の『支那目録学』であったが、少し躊躇して倉石武四郎(1897~1975)の『目録学』を挙げることにした。内藤湖南の『支那目録学』は、私の此の分野で最も好きな書物であり、推奨するに本来何の躊躇いもあろう筈はないのだが、今更このような名著を紹介するのも芸が無いし、既に湖...
目録学のススメ
- 2016/06/12
- 13:40
必要に迫られて、最近相法に関する資料を色々と渉猟しているが、驚くべきは此の分野にはまともな書誌学・目録学を踏まえて書かれた論考がほとんど見られない点で、易占など経書と関係を持ちつつ発展した占術と比べて扱われ方の粗雑さは目を覆うばかりである。読むに値するようなものと言えば、管見の限りでは、西洋手相術の分野に『西洋手相術の世界』(伊泉龍一・ジューン澁澤共著/2007年刊)があるくらいだが、、このような著述...
吉田松陰先生旧蹟
- 2016/06/08
- 22:59

史蹟松下村塾今回の四国~山陰山陽の旅において、当初予定にはなかったが偶然に立ち寄ることになった場所が道後温泉の他にも幾つかある。その最大の収穫は吉田松陰先生の旧蹟で、もともと萩へは永富独嘯庵の師である山県周南の墓碑を見に行ったのだが、お次に独嘯庵の顕彰碑を見に下関へ向かう為、ナビをセットしようとしたところ、我が目に飛び込みたるは「松下村塾」の四字。下関へは一時間ほどかかるのだが、すでに時刻は16:30...
神隠しの占
- 2016/06/03
- 18:06

昨晩11時頃、或る案件で加賀井先生とやり取りしていた際、偶々5月28日から北海道で行方不明になっていた小学生の話題が出て、試みに一筮してみると意外な卦爻を得たので、加賀井先生にも一筮を乞うたところ、先生もまた意外な卦爻を得た。左が加賀井先生、右が庵主の得卦である。これだけ日数が経っているし、まず生存は絶望的、もっと言えばあいつが怪しい、と漠然と思っていのだが、卦爻はどちらも生存発見を暗示するものであ...
千と千尋と道後温泉
- 2016/06/02
- 18:58

宇和島を18時頃に出て、福山へ向かう。伊予吉田藩の御殿医だった平住専安(?~1734)の墓が吉田町の玉鳳山大乗寺にあるというので立ち寄って探したが、見当たらなかった。伊達家の菩提寺なので、御殿医の墓があっても何ら不思議はないが、無いものは仕方がない。そのまま北上してしまなみ海道で広島入りしても良かったが、5月とはいえ海辺の暑さに汗だくになっていたので、途中、道後温泉に立ち寄ることにした。特に予定していた...
西村保吉先生
- 2016/06/01
- 18:13

祖父の家から持ち帰った古ぼけたアルバムに一枚の写真が貼ってあって、横には「恩人 西村保吉先生」と祖父の字で書かれている。此の一見して人の話を聞かなそうな老人は、昭和五年に東京は白金三光町の伊達家本邸前で撮影された集合写真中にも祖父と一緒に写っており、興味を持って調べてみると、戦前に島根や埼玉で官選知事を務めた人物であることが判った。1919年8月に朝鮮総督府殖産局長に転任し、1924年12月に辞職退官した後、...