自己と他者
- 2017/04/30
- 19:39
実占経験を積み重ねると自然と感得されることであろうかと思うが、他人のことを観た場合に比べ、自分自身について執る筮では甚だ誤占が多くなる。これは、不応卦の場合もあろうが、自分のことに関しては、どうしても欲が絡んで眼が曇りがちになるので、恣意的な読卦をしてしまうことが多いということも関係していよう。武隈先生がよく論っておられる死の床に伏した小林喜久治先生の自らの病占(大有之水だったか水之大有だったか)...
練習占不要論
- 2017/04/29
- 17:52
不応卦の存在を認め、必然性の有無がその表出に重要な関わりを持っていると仮定すれば、妄りに卦を起こすのは慎むべきであるという結論が導き出されよう。実際に、名占家と呼ばれるに相応しい易法家には極端に卦を起こす回数の少ない人が多いように私には思われる。私が親炙した方では、御法川先生がそうであるし(先生は百占百中であるというが、地山謙を地で行くような先生の言に偽りがあるとは私には到底思われない)、加藤大岳...
占機と必然性
- 2017/04/28
- 21:17
揲筮において最も大切なことは、仰々しい斎戒沐浴の類などではなく、如何に“占機”を捉えるかにあると私は思う。梅花心易などは此の“占機”を殊に重視する占法であるかと思うが、“占機”を捉えることの重要性は、遍く卜占全般に及ぶと言えるのではなかろうか。我が広瀬宏道先生は、かつて『易学研究』に寄せられた「半解冗語」の中で、私、占機と申しますか、それが一番大事だ、と思うんです。占機さえ熟しておるなら、初心であろうと...
易占と瞑想
- 2017/04/27
- 20:38
得卦論々争で提示された、卦を教示する主体についての三種の説、すなわち、①自己の持つもの乃至潜在的なものによるとする考え方②神仏といった自己の外側の存在により与えられるとする考え方③鏡に映る如く、自然の理法であるとする考え方の内、私は①の説を採る者であるが、②③の説を支持する場合でも、不応卦の存在を肯定する以上、次なる問題は如何にすれば不応卦の表出を減少せしめ、立筮における応卦の表出率を上げ得るかという点...
真勢易における不応卦
- 2017/04/26
- 21:14
不応卦について論じた第一の占法家は、恐らく松井羅州(1751~1822)である。表題は一応「真勢易における不応卦」としたが、薮田先生の説くところ、真勢の易というものは、実際には松井羅州によって相当に潤色されたものらしく、事実上中州の継承者であったと言って良い谷川龍山(1774~1831)でさえ、羅州のリライトに過ぎないのだという。つまり、薮田説からすると我々が認識している真勢易なるものは羅州というフィルターを通し...
不応卦は存在するか
- 2017/04/25
- 21:08
得卦論々争の原点となったのは、所謂不応卦の有無についての対立である。論争の発端となった荒井省一郎先生は非卦誤卦の名で不応卦の存在を主張するが(非卦誤卦という表現は私には余り適当なものとは思われない。少なくとも私には不応卦という表現の方がしっくり来る)、与えられた卦は絶対であるとする紀藤元之介先生は、不応卦の存在を認めない立場を取る。不応卦の存在を認めない立場であれば、誤占は単なる観卦上のミスに起因...
誤占の研究
- 2017/04/24
- 19:32
“易は何故当たるのか”という主題は中々に深遠ではあるが、正直なところ、私にはあまり関心がない。しかし、“易が当たらないことがあるのは何故か”という主題には大いに興味を引かれるところがある。我々が筮を執るのは、何か易を通して知りたいことがあるからだが、それは当然「易は当たるものだ」という前提に立って行う行為であろう。従って、易が当たるのは占者にとっては当たり前のことと言って良い。しかし、それにも拘わらず...
得卦論々争について
- 2017/04/23
- 18:42
仮に、加藤大岳氏の自負するように、もはや発展性が残されぬ程に追及されたものが“昭和の易”であったならば、その時代的絶頂は昭和20年代後半から三十年代前半にかけてではなかったかと、私には思われる。そして、その絶頂は、所謂“得卦論々争”を中心として形成せられたものではなかったか。私がかく申し述べる根拠の一つは、『易学研究』誌に掲載された記事の質である。私自身は残念ながら此の時代を直接に呼吸して居らぬ為、あく...
平成の易
- 2017/04/22
- 12:58
皇室典範特例法によって今上が退位されることで、平成という一つの時代に間も無く幕が下ろされようとしている。昭和大帝の崩御がつい昨日のことのように思い出されるが、それから三十年とは光陰矢の如しの格言を今更ながらに肌身に感じずには居られない。私がこの平成という時代、近代以降もっとも我が国で平和が続いた時代を振り返って思うことは、殊に易占という私の狭い専門の範囲に限って言えば、実に発展性の乏しい30年であっ...
ブログ再開
- 2017/04/21
- 18:37
諸般の事情により、随分蒼流庵随想の更新が滞ってしまった。その間もアクセス数が意外に減少せず、一定数を保ち続けたことは、聊か庵主を驚かせたが、過去記事数が一定以上あるブログというのは案外そういうものなのか、それとも読者諸賢の期待の高さを反映したものか、もし後者であればブロガー冥利に尽きる反面、申し訳無い気がしないでもない。熱しやすく冷めやすい性格の庵主にとって、一定頻度で更新するというのは中々苦行め...