応と不応と広末涼子と
- 2017/09/29
- 12:25

吉川幸次郎が、対談集『古典への道』(新訂中国古典選〈別巻〉1969年刊)の388頁で以下のようなことを言っている。ぼくは前にも申しましたように、『詩経』そのものについても、詩の原意というものは、私にはあまり興味がないのです。それはどうせわからないものと放棄している。それよりは『毛伝』をはじめ、どう解釈したかという、解釈のおもしろさというか、解釈のなかにあらわれた注釈者の個人個人の精神というものこそ、たい...
達人とは何だろう
- 2017/09/15
- 18:25

易占の分野では、紀藤門の高弟であった麻野勝稔先生や御法川もも代先生に特別親しくして頂いているが(師弟関係というよりは恩人という方がしっくりくる)、殆ど一世紀に近い人生を生き抜いて来られたお二方の易歴は既に半世紀をゆうに超えている。地山謙を其の身に体現する両先生は、ご自身の技量をあからさまに誇示するようなことは決してなさらないが、しばしば「易をやってきて本当に良かった」と述懐されるのが、私にはとても...
あれから16年
- 2017/09/11
- 00:15

早いもので、米国を襲ったあの忌まわしき同時多発テロ事件から16年になる。22世紀に前世紀の十大ニュースを選ぶとしたら、間違いなく此の事件は上位に挙げられるに違いない(少なくとも、2017年現在ではこの事件がトップの筈だ)。ちょうど、速報が伝えられた時、私は長谷川慶太郎氏の『中国「近代化」の幻想』(ダイアモンド社)を読んでいたのだが、テロのお陰で此の本のこともまた大変印象的なものとなった(今はどうか知らない...
占例と治験例
- 2017/09/10
- 12:55
私は折に触れ、占における名人像が自己申告や弟子の記述によって作り上げられた虚像である可能性について言及してきた。あくまで其の偶像を崇拝し続けたい向きには面白からぬものであろうが、私がこのような疑義を呈しているのは、医学の分野にも同様のことが観取されるからである。例えば、漢方の分野では『日本東洋医学雑誌』や『漢方の臨床』といった学術誌に、治験例が豊富に収載されている。そして、それらを読んでみると、鮮...
占は十にして七あたるを神とす
- 2017/09/07
- 18:06

祇園の社焼失の時、御うらおこなはるるに、陰陽師泰親うらなひ申ていはく、「六月壬癸日、内裏焼亡あるべし」。六月廿六壬子、土御門内裏やけにけり。「稀有の事」と人いひけり。「本文にいはく、“占は十にして七あたるを神とす”泰親がうら、七あたる。上古にはぢず」とぞ鳥羽院仰られける。『続古事談』巻第五より上記でも内容はよく判るが、以下『奇談の時代』より、百目鬼恭三郎の訳を引いておく。久安四年(1148)に京の祇園社...
易は何故当たるか
- 2017/09/06
- 19:15
『易学研究』の昭和27年3月号に、加藤大岳氏を中心として行われた鼎談の筆録が「易は何故当るか」の題で掲載されている。江藤幸彦氏や実川花子氏の占例検討から始まっているこの座談会は、続いて得卦論々争の発端となった荒井省一郎氏に話が振られたことから、必然的に話題は得卦論に移行して行くのだが、短い筆録の中に、得卦論の大凡がうまく纏められている上、当時の熱気めいたものも伝わってくるようで、中々面白い。好評を博...
卦の連続性について
- 2017/09/05
- 18:38

一卦多占を目論んでいるならいざ知らず、昨今の占者の大多数は、分占を常法としていると思うが、分占で複数の卦を立てる際、注意しておくべきは、得卦の連続性である。つまり、得卦を別々に見るのではなく、前後で関連性や類似性がないかを常に意識しておくのである。例えば、同じ分野の占題で5回以上続けて凶が出続けたら、進み方が間違っている可能性を考えて判断はしばし保留にした方が良い。客を取っての鑑定ではそうも行くま...
類似卦の鑑別
- 2017/09/04
- 18:31
今日のテーマは、占断に臨んでのテクニック的なものというより、少なくとも人様を相手に鑑定を行うなら、自分の中で当然確立しておくべき事柄について。易には六十四の卦がある訳だが、何とはなしに、ニュアンスの似た卦というものがある。たとえば、雷水解と風水渙、山地剥と沢天夬、水雷屯と地風升、風雷益と雷火豊など、違うと言えば違うが、どこか似たところがあると言えばあると言えなくもない。また、同じ上へ進み上るにして...
主爻に注意
- 2017/09/02
- 18:55
蒼流庵易占法秘伝としてご紹介しても良かったが、或いはこんなことは当たり前の観卦法の一つかも知れず(少なくとも私には特別なものではない)、秘伝の二字を冠しての紹介は躊躇われたので、普通に紹介することにした。今回のテーマは、表題の通り、占考時における主爻への注目である。今更申し上げるまでもないが、主爻とは大成卦を構成する六爻の内、象義の上で主要な役割をしている爻のことで、一卦の所帯主としての主爻と、働...
経文解釈の選択における一考察
- 2017/09/01
- 18:58
『周易』は大変に古い書物であるから、実に多くの注釈書が堆積しており、まさに汗牛充棟の有様と言って良い。その中から各自がチョイスして座右に置き、折に触れ、親しまれていることであろうが、私の場合は公田連太郎先生の『易経講話』で経文を学んだので、未だに此の書物の世話になっている。実占家には、加藤大岳先生の『易学大講座』辺りが人気のようだし、入手し易さの点で、本田済先生の朝日『易』を座右に置いている人も多...