三善清行のこと
- 2017/11/29
- 18:40

宮内庁の図書寮や陽明文庫、京都大学等に、『周易要事記』という筆写本が蔵されており(京大本はデジタル公開されている。)、足利学校における易伝授の実際を伝える重要な資料として知られているが、原本は柏舟が足利学校で学んだ一世快元および其の師である希禅の易学講述を筆録したものと考えられている。この中に、我が国の易学伝授について記した個所があり、それによると、清行が日蔵に伝えたのが真言流で、同じく浄蔵に伝え...
後醍醐天皇の帰還占
- 2017/11/27
- 18:24

恐らく、我が国で易占の行われた始めも、儒教の伝来と時を同じくしたものと思われるが、内容のはっきりした易占の記録は、後醍醐天皇の元弘三年(1333)まで時代が下ってようやく現れるのは少々意外。『太平記』巻第十一の「諸将被進早馬於船上事」の中に見える占例がそれである。五月十二日に、船上山に居られた後醍醐天皇のもとに、早馬で、六波羅陥落の知らせが届いたが、鎌倉幕府を恐れる公卿たちは未だ形勢不透明として、後醍...
柏舟宗趙と永源寺
- 2017/11/24
- 17:54

我が国の易占史を語る上で避けて通れないのが足利学校であるが、初代の庠主である快元(?~1456)からして、そもそも易学で有名な人物であったらしい。その快元の易学を受講した最初の禅僧が、柏舟宗趙(1416~1495)で、応永二十三年に近江に生まれ、法諱を宗趙、道号を柏舟、号を与派といった。近江の永源寺で出家し、傑岩禅偉に参禅し、のち法を嗣ぐ。足利易は柏舟を通じて、まず相国寺系の横川景三・景徐周麟・桃源瑞仙の三禅...
日本易学易占史
- 2017/11/23
- 16:00
わが国に儒学が伝来しましたのは五世紀のことでありますが、その後、中臣鎌足は百済の帰化僧旻法師から周易の講義を聴いたと伝えられております。大化の改新(六四六)後にできた大宝律令によりますと、大学で周易は他の経書と共に教科目であり、後漢の鄭玄の注と魏の王弼の注とが併せ用いられました。平安時代にはかなりの易書が伝来しておつたことは、日本国見在書目に漢唐の易書が二十種類余り著録されていることによって知られ...
王仁の『千字文』将来伝説
- 2017/11/21
- 21:55

我が国で『周易』がいつ頃から読まれるようになったのか、定かではないが、伝説によると儒教の伝えられたのは、応神天皇の時代に皇子の侍講として百済から招いた王仁博士が、『論語』と『千字文』とを携え来ったのが最初とされている。ところが、これは単なる古伝説の類に過ぎないらしい。神田喜一郎先生(1897~1984)によれば、応神天皇の治世は、『古事記』や『日本書紀』によれば100年以上続いたということになっており、これ...
卜部と浦辺
- 2017/11/19
- 16:48

宇多天皇の血統が広瀬先生を易学研究に駆り立てたのかもしれないように、元来占いに何ら関心の無かった庵主が柄にもなく易学に取り組むことになったのも、或いは同様の理由であるのかもしれない。儒教では自分から数えて五代前までを先祖として扱い、祭祀の対象とするそうだが、そういう点での最も古い先祖が千太郎という人であるのを知ったのは昨年のこと、ふと思い立って宇和島より取り寄せた曾祖父の除籍謄本によってであった。...
広瀬先生と宇多天皇
- 2017/11/17
- 18:19

宇多法皇像(仁和寺蔵)広瀬先生は生涯の過半を『周易』の解明に捧げられたが、或いはそれは先生ご自身に流れる“血”がそうさせたものであったか。先生が佐々木源氏の後裔であることは先に書いた通りであるが、その佐々木源氏は元をたどれば宇多天皇(867~931)に行き着く。宇多天皇は、在位期間(887~897)こそ僅か10年と短いものの、『周易』に取り分け縁の深い人物で、大学博士の善淵愛成より『周易』の進講を受けているのだが...
広瀬先生と沙沙貴神社
- 2017/11/14
- 18:34

夏に松浦薬業(株)の加藤久幸先生に案内を乞い、滋賀県の伊吹山へ薬用植物の観察に出かけた。庵主には“生薬探偵”の異名があるが、近場にも関わらず、何故か薬草の宝庫たる伊吹山は長らく縁遠い存在であった。目当ては連翹と狼牙の二つだけであったことと、伊吹山を知り尽くされた加藤先生の効率的なご案内の御蔭で、昼までには目的を遂げることが出来、早めに解散して向かったのが、近江八幡の安土。講演中の広瀬先生安土は、我が広...
紀藤元之介先生旧蔵品~其の五~
- 2017/11/11
- 18:13

その昔、紀藤先生が用いておられた時期測定盤は、新井白蛾の上月定局を改良したもので、戦後間もない昭和21~22年頃に考え付かれたものという。名前だけは知っていたが、実物を目にするのは初めてである。当時150円で頒布されていたらしいが、現在だとどれくらいの価値になるのかしら?ただ、この盤は孰れかと言えば試験的な運用に止まったようで、後期の『実占研究』ではこれを用いた占例などは見た記憶がない。右の算木は並製の...
紀藤元之介先生旧蔵品~其の四~
- 2017/11/10
- 18:48

今回恵与されたものの中には、紀藤先生の自筆原稿が含まれていた。未完に終わった六十四卦の解説(地沢臨までしかない)であるが、多忙によって中絶したもので、最晩年の原稿という訳ではないようだ。各卦には先生の占例が差し挟まれているが、或いは未発表のものも含まれているやも知れぬ。年代が判ると良いのだが・・・姓名判断に関する論考で、分量こそ多くないが、紀藤先生の纏まった姓名判断考は目にした記憶がないから、これ...
紀藤元之介先生旧蔵品~其の参~
- 2017/11/09
- 18:58

紀藤先生関連の品々の中でも、とりわけ価値が高いのは、この小汚い手帳である。といっても実際にはこれは手帳ではなく、まだ上下巻に分かれる前の一冊本時代の岩波文庫『易経』。その昔、薮田嘉一郎先生が、以下の如き文章を『易学研究』誌上に発表されたことがある。旧版『易経』を私は随分愛用した。しかし私以上の愛用者を紀藤元之介氏に見た。戦後、奈良で初めてお目にかかったとき、紀藤先生が所持されていたこの本は、「葦編...
紀藤元之介先生旧蔵品~其の弐~
- 2017/11/08
- 18:15

木藤会長より恵与された資料中、相学関連のものアレコレ。『八面体質論詳解』は新品同様であるし、以前にご紹介した我が心の師・目黒一三先生の『都市の見えないメカニズム』は今や超入手困難な書物である。『二十一世紀の医学 蒙色望診』も嬉しい。相法関連で一番嬉しかったのが、『相法原基』。以前、目黒一三先生にお目にかかった折、「おう、蒼流庵ちゃん、持ってないなら、今度家にあるの探しとくゼ」と仰って頂いたものの、...
紀藤元之介先生旧蔵品~其の壱~
- 2017/11/07
- 19:44

先日の供養塔護持会にて、木藤会長より恵与された品々のうち、まずは紀元書房関連のものをお目にかけようと思う。紀元書房の出版物は、必要なものはあらかた架蔵してはいるが、全てという訳でもなくて、『五行易精蘊』は庵主自身が断易をやらない為未蔵であったし、『株価騰落占法口訣』は昔広瀬先生から貰い受けたものの、函欠本であった。『易占法秘解』は、昔、ボロボロのものを持っていたのだが、一応通読して、必要箇所は筆記...
易学供養塔
- 2017/11/05
- 17:26

今日は、毎年恒例の易学供養塔護持会。といっても、公の会合は2014年を以て終了したから、以降は恒例とは言っても、庵主が木藤会長に無理を言って御足労願っている個人的なものだ。初めて参加したのが2010年だったから、もう7回目の参列である。ちょうど青木先生が私の五年程前からの参加ということだが、最近は多忙を極めておられるらしく、昨年に引き続き今年も不参加。木藤会長との二人のビッグショーが二年続いてしまった。初...