2017年の大勢占を振り返って
- 2017/12/31
- 11:03
年初に筮した今年の大勢占について検証。①得卦から予想された通り、振り返って今年も実に物騒な波乱の一年であったと言う他ない。政治的にはトランプに振り回された一年であったが、それ以外にももう感覚が麻痺してしまう程に流血が続いた。まず、トルコのナイトクラブ襲撃で39人が死亡、バグダッドの自爆テロで30人以上が死亡、ブラジル北部アマゾナス州の刑務所での暴動では60人以上が死亡したというが、この三事件、なんと全て1...
掃苔家の饗宴 其の弐
- 2017/12/28
- 19:36

ラペティ・ロアラブッシュにて今日は忘年会のお誘いを受け、整形外科医にして掃苔家、そして子孫マイルの第一人者でもある今井先生に、行きつけというフレンチの名店ラペティ・ロアラブッシュさんへ連れて行って頂いた。実は先月にも忘年会名目で心斎橋のフレンチにお呼ばれしたのだが、やっぱ忘年会は12月じゃないと気分が出ませんなということで、二度目の忘年会と相成った次第。お店があるのは、随分前に紹介した懐徳堂碑のある...
掃苔家の饗宴 其の壱
- 2017/12/27
- 01:18

今日は、南越ハカマイラーのちゃお・めいさんと、忘年オフ会。二年近く、メールでのやり取りが続き、お目にかかるのは今日が初めて。ちゃお・めいさんは、南越の儒者の家系につながる方で、ご自身のルーツ探しをきっかけに掃苔に取り組まれている。蒼流庵随想も参考にしてくださっているそうであるが、芥川丹邱や細合斗南など、庵主が探墓しそこなった墓碑も発見されており、こちらも大いに裨益されるところがあった。こういったお...
華岡青洲分墓~富山漢方史跡~
- 2017/12/26
- 16:59

華岡青洲分墓(海岸寺/富山県富山市梅沢町3-19-27)和歌山にある華岡青洲の墓は何度か訪れているが、昨年小太郎の『漢方研究』(8月号)に載った服部征雄先生(富山大名誉教授)の記事「富山海岸寺の華岡青洲の墓」によって、北陸に青洲の関連史跡があることを教えられた。この墓碑は、青洲の十三回忌(1847年)に、門弟の西野大珉が分骨を許されて海岸寺に建立したものという。和歌山の華岡家墓地に「門人越中西野元甫敬建」と刻...
落合東堤~秋田易儒墓参録~
- 2017/12/25
- 18:33

落合東堤墓(浄蓮寺/秋田県大仙市角間川町東本町82)落合東堤(1749~1841)は寛延二年に生まれ、名は直養、幼名は文六、字は季剛といい、東堤・守拙亭と号した。中山菁莪(1728~1805)に学ぶ。秋田藩校の教授に招かれたが固辞、寛政七年(1795)私塾守拙亭を開いて子弟を教育し、たびたび藩主に賞せられた。また、平沢久敬に従って医を修め、稲の品種改良に当り、角間川の聖人と称された。俳諧・和歌を能くした。『易経本義講義...
大原幽学~千葉易儒墓参録~
- 2017/12/24
- 12:09

大原幽学翁之墓(千葉県旭市長部)名古屋平和公園内にある大原幽学(1797~1858)の供養墓は以前記事にしているが、今回は千葉にある真墓である。本年5月に訪碑したのだが、実は全くの偶然に通りかかったもので、東北からの帰りに、山武市の稲葉黙斎の墓へ向かう道すがら、案内の標識が目に入り、足を延ばしたものだ。明け方でまだ暗く、そのうえ小雨が降っていたので、撮影のコンディションはイマイチだったが、棚ボタ掃苔なので...
稲葉黙斎~千葉易儒墓参録~
- 2017/12/23
- 18:11

稲葉黙斎墓(元倡寺/千葉県山武市成東2697)稲葉黙斎(1732~1799)は、寛政十一年に稲葉迂斎の次男として生まれ、名は正信、通称を又三郎といい、黙斎・狐松庵と号した。幼にして父に学び、長じて野田剛斎(1690~1768)に師事。諸侯に教授したが士官せず、晩年の二十年間は江戸を離れ、上総清名幸谷に隠棲して講学に専念、崎門学の継承発展に努めた。易書に、『周易本義講義』『太極図説講義』などがある。稲葉黙斎顕彰碑...
佐久間象山~長野易儒墓参録~
- 2017/12/21
- 18:54

佐久間象山墓(蓮乗寺/長野市松代町松代御安町1142)妙心寺大法院にある佐久間象山の墓は結局一度も掃苔出来ていないが、今夏長野に立ち寄った際、生誕地である松代の墓所にようやく足を運ぶことが出来た。側面には、「大正十一年十月十五日京都妙心寺内大法院ヨリ分葬ス」と刻まれており、京都のものが真墓で、松代の墓碑は分墓であることが判る。佐久間象山像(象山神社/長野市松代町松代1501)象山を祀った象山神社の鳥居前には...
細合斗南~大阪易儒墓参録~
- 2017/12/19
- 18:04

細合斗南墓(法楽寺/大阪市東住吉区山坂1-18-30)ハカマイラーとしてのキャリアを積んで来て、自分ではその力量にまずまずの自信を持っているのだが、それでも時に弘法にも筆の誤りがあるように、蒼流庵主人にも見落としや探し損ねということがないではない。例えば、写真の細合斗南(1727~1803)の墓などもその一つで、この人は混沌社に参加し、池大雅や高芙蓉らと交わった文人気質の学者であるが、多くの著述の中には『周易説統...
十年沈研感刻
- 2017/12/17
- 15:41
二、三年前の占を振り返って、読卦の未熟を痛感すること屡々であるが、これは言い換えれば自分にはまだまだ伸び代があるということに他ならず、占例記録というのはこういう発奮材料としても甚だ有益なものであるようだ。ところで、新井白蛾は『古易一家言』附録において、いかなる道術と雖も三年五年の修行を要し、或は一生の修養を怠ることが出来ないのに、易道を三月五月修して中たらぬといつて廃する輩が多い、それではどうして...
雑卦占法について
- 2017/12/15
- 18:17
雑卦伝は、読んで見ると、大したことないものです。実に平凡なことをいつているにすぎません。しかし、最も実際に即したことをいつています。たとえば、「无妄は災なり」だとか、「升は不来なり」だとか、いかにも地についた言葉で、一卦一卦を断じています。その卑俗さのために、昔から雑卦伝は、易学者に軽視され、余り深くは注解されていません。ところがこの雑卦伝の卦の見方が、一番地についた見方であつて、これがほんとに身...
いわゆる四大難卦について
- 2017/12/13
- 18:47
「六十四卦三百八十四爻いずれも其れ自体には吉も凶もなくて、占事と対照した場合に、はじめて吉凶が判ぜられるものである。」とは加藤大岳氏の言であるが(『易学研究』昭和38年7月号)、実際には実占に得て甚だ面白くない卦というのは幾つもあって、殊に屯・坎・蹇・困の四卦を称して“四大難卦”とか“四難卦”と呼び、著しい凶兆を見るということになっているらしい。ところが、私は以前から、この四難卦に屯が入っているのが、ど...
判じ難い卦
- 2017/12/11
- 18:18
一般に“難卦”と言えば、凶意の強い艱難辛苦の卦を思い浮かべる人が多いだろうが、吉凶いずれに解すれば良いか迷う“判じ難い卦”もまた難卦の二字で表現されるところのものであろう。これを克服するに、経文をどこまでも深く読み込んで実占経験を積み重ねる以外の対処策は無い訳だが、得卦に占者個人の癖があるように、読卦にもまた同様の癖が存在するから、やはり中々容易に克服出来る筋のものではないようだ。乾為天や火天大有など...
八面のサイコロ
- 2017/12/08
- 18:13

先日、いつも四日置きに通っている古書店のワゴンセールを漁っていて、古山高麗雄(1920~2002)の『八面のサイコロ』という本が目に留まった。1977年に出た随筆集で、何か易の話でも書いてあるのかと期待して読んでみたが、表題作には残念なことに易どころか、八面賽の文字すら出てこなくて、なんだか騙された様な気分になった。ただ、あとがきの中に以下のようなくだりがあるから、やはり八面のサイコロというのは易占を言ったも...
『周易裏街道』と諏訪山房
- 2017/12/05
- 18:02

易歴のそこそこ長い方なら、“天下の奇書”『周易裏街道』を知らぬ者は一人として居まい。かつてはべらぼうな古書価で知られていたこの書物も、2002年に東洋書院の英断で復刊されて容易に入手出来るようになったとはいえ、その復刻版もまた暫らく版元品切れの状態が続いてジワジワと古書価の上昇を見せていた。が、今夏ようやく再版されて、古書価の更なる高騰を待って転売しようと目論んでいた蔵書家諸氏を愕然とさせたことは記憶に...