香川修庵~楽しいイエマイル~
- 2018/01/29
- 18:35

中立売堀川東香川修庵の居宅は、中立売堀川東ヘ入町にあったといい、『平安人物志』明和五年版および安永四年版には、修庵の養嗣子となって医業を継いだ南洋(1714~1777)の名が見えている。香川氏は其の後も天明二年版に右膳(=申斎、1764~1821)、文化十年版に景寛(=東谿、1784~1837)、文政五年版および文政十三年版に栗郷(=東谿)と続き、いずれも所在は変わっていない。なお、かつて同通りには俳人の浦井有国(1780~185...
曲直瀬道三~楽しいイエマイル~
- 2018/01/26
- 18:13

中立売新町通下ル曲直瀬道三が開いた啓廸院は、800人もの医生を世に送り出したと言われ、のちに後世方と呼ばれるようになる我が国の李朱医学は、ここから全国に広まっていった。現在、啓廸院のあった辺りには、京都ブライトンホテルが立っているが、残念ながら啓廸院址を示す石標等は皆無で何とも寂しい。ところで、同ホテル南西の一角には、かつて安倍晴明(921~1005)の邸宅があったと言われ、土御門町という町名が現在も残って...
後藤艮山~楽しいイエマイル~
- 2018/01/23
- 19:28

『京都の医学史』第8章第二節に後藤艮山についての詳細な記述があり、それによると、艮山の生家は江戸常盤橋辺で、父母を奉じて京師におもむき、27歳の時に室町の相国寺西に僑居し、のち禁門前正親町に家一区を買って、ついに終焉の地としたという。『平安人物志』では、明和五年版から文政十三年版に至る六つの版に、学者や医家として後藤氏の名が見えており、所在は明和五年版が「中立売室町西」、安永四年版が「中立売新町東」...
名古屋玄篤~楽しいイエマイル~
- 2018/01/20
- 21:09

『良医名鑑』(『京都の医学史:資料編』より)名古屋玄医といえば、古方派の鼻祖とされる医家であるが、その嗣子に玄篤という人が居て、玄医の『金匱要略註解』の冒頭に「男 玄篤 校正」と見えている。自らの著述などはなかったようで、あくまでも玄医の医術を継承することに努めた医家であったと見られるが、その為、謎に包まれた人物であった。しかし、一昨年、府立中之島図書館で種々の資料を渉猟していた折、手にした『平安...
イエマイルのススメ
- 2018/01/18
- 18:53
2009年の3月、出張で上京した翌日、丸一日休みを取って荻生徂徠や高島嘉右衛門、曲直瀬玄朔らの掃苔を行ってから、ハカマイルに目覚めた庵主は、以来易学と傷寒論に関係した諸家の探墓掃苔に明け暮れる日々を送った。誰言うとなく、掃苔家が“ハカマイラー”と呼ばれるようになって久しいが、2009年当時はまだ人口に膾炙した称呼ではなかった気がする。恐らく、掃苔という地味で奇特な嗜好が世人に知られるようになったのは、歴史愛...
最近の愛用品
- 2018/01/13
- 10:32

占具といっても、筮竹や算木など、占術上の直接的な使用品とばかりは限らない。昨年から愛用している紫檀のみかん数珠は庵主にとってそんなアイテムの一つである。普通真言宗で用いられるみかん玉の数珠に紫水晶を組み合わせたもので、着けているとカンが鋭くなり、集中力も向上するようだ。易の場合は、卦を立てるという最初の段階が非常に大切であるが、この際に用いると、応卦を得やすいように思う。また、卦読みの段階でも、表...
蒼流庵、蒼龍庵へ行く~其の参~
- 2018/01/11
- 18:28

蒼龍庵(福島県田村郡三春町新町160)福島は三春町の蒼龍庵は、他の二か所とは違い、和菓子屋さん。明治の中ごろより、競り市や当時近くの真照寺にあった牛頭天王の祭礼に集まる畜産農家の方々にお土産を売ることから商いを始めたそうである。残念ながら、この日は漢方治療研究会の当日であった為、朝の6時に訪れたので、店内に入ることも出来なかった。出来ることなら、福島土産に持ち帰りたいとは思っていたのだが。なお、福島に...
蒼流庵、蒼龍庵へ行く~其の弐~
- 2018/01/09
- 18:06

蒼龍庵・公会所跡(長野県塩尻市桟敷376)長野県は塩尻にある蒼龍庵は、もと江戸時代の阿弥陀堂があった場所らしいが、現在は写真の六地蔵や庚申塚などを残すのみである。明治44年、この場所に桟敷公会所が作られ、長らく村民の文化・娯楽の中心地であったそうだ。現在の形に整備されたのは平成六年で、それまでは公会所としての蒼流庵に阿弥陀像が安置されていたらしい(整備の際に現桟敷公民館に移された)。...
蒼流庵、蒼龍庵へ行く~其の壱~
- 2018/01/07
- 16:13

蒼龍庵(新潟県三条市本町1-6-21)蒼流庵の庵号は、慈雲尊者の双龍庵をもじったものであることは以前書いたが、蒼流庵ならぬ蒼龍庵というのが、日本には三か所あることを知り、近くを通りかかった折にちょくちょく探訪を続けて来た。三か所のうち、もっとも有名なのが、新潟は三条市にある蒼龍庵で、”北洋漁業の開拓者” 堤清六(1880~1931)の生家(もとは呉服屋)の一部を移築したものである。現在は集会場として利用されている...
仁田丸久先生語録
- 2018/01/05
- 18:04

仁田丸久先生12月から、仁田丸久先生の著作を纏めて読んでいた。星占などの分野はさっぱり判らぬが、印象に残ったところを抜書きしてみた。昨日加藤大岳先生と武市岳川さんが話しているのをそばで聞いていると、易の神さまは実に意地がわるい。いい気になっているとパッとはずす。易で自分のいいとこを見せてやろう。偉いところを見せようという気があるときはきまっていけないというような話をしていました。これは誰しも同感する...
いにしえ包犧氏の天下に王たるや
- 2018/01/03
- 13:15

人混みが嫌いで、三が日の初詣というのは性に合わないが、久々の元旦初詣が終わって、ぼんやり玉垣を眺めていると、ふと目に入ったのが写真の玉垣で、寄進者は“大町包義”とある。「包義」はおそらく「かねよし」と読むのだろうが、或いは繋辞伝に「いにしえ包犧氏の天下に王たるや」とある包犧=伏羲から採られた名であろうか(伏羲氏については、加上説によって解説した内藤湖南の説を以前ご紹介したので、今一度参照されたし)。...
謹賀新年
- 2018/01/01
- 08:08

蒼流庵随想をご覧の皆様、新年明けましておめでとう御座います。昨年は年筮通り、極めて凶運の一年でした。思い出すのも不愉快ですが、殊に秋以降次々と降りかかる災難に閉口させられました。残念ながら今年の年運も艮為山九三で得卦得爻ともにどうも面白くありません。思い当たる点がないでもありませんが、年始に厄払いの予定ですので、それで少しはマシになると思いたいところです。中筮では沢山咸の四爻変です。咸というのは、...