澤瀉を求めて~生薬探偵の冒険~
- 2019/09/27
- 18:10

サジオモダカ(2019年8月19日/大阪市内)生薬探偵稼業も既にやり尽くしたと言って差し支えない境地に到達しているが、それでも100%完全制覇したかと言われれば、いくらか大阪府下で見い出せていないものがあるにはある。そんなのに出会えるのは、せいぜい年に一つか二つ位という状況がここ数年続いているが、先月ようやく出会えたのが写真のサジオモダカで、この塊茎を乾燥したものが澤瀉である。澤瀉は『神農本草経』に上品として...
カメパ~生薬探偵の出張調理~
- 2019/09/23
- 11:42

今年はスッポンさんを釣りまくっているのだが、とうとう9月に入って、昨年の最高記録2.7kgを僅かに100g超えるお化けスッポンさんを釣り上げる事に成功した。つがいで釣り上げた雌の方が盗難に遭うというハプニングがあったが、なんとか雄は守り抜いて、昨日、出張調理する事と相成った。昨年は、首を落とすだけでも15分以上かかり、解体も思うようには行かなかったが、20匹以上解体経験を積むとかなり手馴れてきて、時間的には一時...
『団地』
- 2019/09/20
- 18:25

華岡青洲は、世界初の全身麻酔による乳癌の摘出手術によって其の名が知られているが、実際には漢蘭折衷の医家で、所謂蘭方医ではないことを読者諸賢はよく知っている筈である。ところが、『華岡青洲の妻』は、麻酔薬の開発が主たるテーマで、烏頭や蔓陀羅花に僅かに言及される他は漢方医としての青洲が全くと言って良いほど描かれておらず、在京時代には吉益南涯に師事して古方を学んでいるのだが、吉益の「よ」の字も出てこないの...
今更ながらの『華岡青洲の妻』
- 2019/09/19
- 18:11

先週、昨年の記録を上回るお化けスッポンを釣り上げたまでは良かったが、翌日、巣箱づくりで十数年ぶりにギックリ腰になってしまって難儀している。ようやく治ってきたと安堵していたのも束の間、なんと一昨日お化けスッポンの妻と思われるこれまた大型のスッポン(同じ場所で一緒に釣り上げた)が盗難に遭うという災禍に見舞われ、また腰痛がぶり返してしまった。カネを盗む人間はごまんと居るが、カメを盗む輩までいようとは。し...
神農さんアレコレ
- 2019/09/17
- 18:52

先日、医史学の大家で前日本医史学会理事長の小曽戸洋先生より、御高説の抜き刷り含む三点の神農関連資料を送付頂いた。御高説は、『神農本草経』の来歴や我が国への支那本草学の受容に至るまで、非常に啓発的で学ばせて頂く事が大変多かった。2013年から2014年にかけて杏雨書屋で催された神農展のカラー図録は、小曽戸先生の旧蔵品を含む39点の神農関連資料を収録しており、色々な意匠の神農像が見る者を楽しませてくれる。室町...
初めての墓拓
- 2019/09/13
- 18:28

先日、医史学仲間の整形外科医・今井秀先生にお声掛け頂いて、初めて墓拓取りのお手伝いをする事になった。碑文が写真撮影では不鮮明だった為、墓拓を採って正確に解読しようという試みである。もちろん二人とも墓拓は全くのド素人。こちらが今回のターゲット(もちろん寺院には事前に許可を貰っています)まず、布テープで仮止め水で濡らして行きます。浮かび上がる文字群に感動!炭を附けてポンポン叩いていきます。残念ながら、...
柳津虚空蔵尊~医史跡番外編~
- 2019/09/10
- 18:23

福満虚空蔵尊圓蔵寺(福島県河沼郡柳津町柳津字寺家町甲176)昨年、猪苓を求めて福島のブナ林を探索した際、柳津の福満虚空蔵に立ち寄る機会を得た。矢数道明氏の「道三・三喜邂逅の地「柳津」考」(漢方の臨床・1984年2月号)によると、この場所こそ、曲直瀬道三と田代三喜邂逅の地であるという。享禄四年十一月、道三はこの虚空蔵に参詣し、医家たらんとする決意の祈願を立てたが、このとき奇しくも、足利学校で講演を聴いて感銘...
田中愿仲の墓~兵庫漢方史跡~
- 2019/09/07
- 14:40

田中愿仲墓東洞の門人・田中愿仲(1732~1792)は、享保十七年に播磨で生まれ、字は愿仲、号を張海といった。一般には、それほど有名な医家ではないかもしれないが、畑黄山の『斥医断』を駁した『弁斥医談』や、証候別に『傷寒論』『金匱要略』の条文を組み替えて処方を付した『長沙正経証彙』などの著述があり、いずれも春光苑時代にテキストに用いて勉強した庵主としては、割に親しみのある医家であったりする。殊に『長沙正経証...
岡本稚川~和歌山易儒墓参録~
- 2019/09/04
- 18:07

岡本稚川墓和歌山藩士・岡本稚川(?~1792)は、名は充、字は石介・至剛、通称を八輔といい、稚川・玉藻と号した。三禮研究で知られた和歌山藩儒・川合春川(1751~1824)に学ぶ。易書に、『程伝易証』がある。...
伴信友~福井易儒墓参録~
- 2019/09/01
- 10:21

伴信友墓(発心寺/福井県小浜市伏原45-3)伴信友(1773~1846)は、安永二年に若狭小浜藩士・山岸惟智の四男として生まれ、名は信友、幼名は惟徳、通称を鋭・鋭五郎・州五郎といい、特・事負と号した。天明六年(1786)、江戸詰の小浜藩士・伴信当の養子となり、江戸へ出て御広間面番役等を勤める。文化三年(1806)、家督を嗣ぎ、藩主・酒井忠進(1770~1828)に従って、江戸・小浜・京都に在勤した。文政四年(1821)、致仕。崎...