四度目のゴキ揚げ~生薬探偵の禁断症状~
- 2020/03/29
- 09:26

ゴキブリという生き物を人は余り好まない、否、相当な拒絶反応を示す人さえ少なくないが、一度食べると病みつきになる尋常一様でない美味であるというのは、食べた事のない人には想像も出来ないだろう。生薬探偵は過去3度素揚げにして食べているが、直近の忘年会では、寒空の下で揚げたのが災いして、揚げた先から冷めてしまい、あまり良い出来栄えでなかった。これは食材のせいではなく、調理環境のしからしむるところである。つ...
春先の薬用植物~生薬探偵の早春~
- 2020/03/26
- 18:38

先日、鍼灸家の阿野先生を案内して一年ぶりに早春の生薬探偵を行ってきた。阿野先生の師匠をご案内したのはちょうど一年前のこと。山葵今年も一応見られはしたが、昨年と比べてかなり数が少ない印象。探偵稼業の初期は、この手の葉はフキだかノブキだか、どれも同じように見えたものだ。ナマで齧るとピリリと辛く、胃がおかしくなる。アミガサユリ道路添いに、栽培の逸出と思われるアミガサユリがズラリと並んで毒々しい花を咲かせ...
関牧翁老師のこと
- 2020/03/23
- 18:36

書画に対する関心は概して希薄な方で、美術品の鑑賞対象と言えば嘗ては根付、現在は専ら陶磁器が愛玩の対象となっているのだが、最近、関牧翁老師(1903~1991)の書で良い出物がないものかと探している。実は今は亡き庵主の祖父は、恐らくは同郷の代議士・今松次郎氏の関係ではなかったかと思うが、老師と交流があって、その書を何幅か所蔵していた。よく覚えているのは達磨図であるが、これは形見分けの際、叔父に持って行かれて...
根本通明翁の扇面
- 2020/03/20
- 08:59

一昨年、縁あって我が蒼流庵に根本通明翁の書が嫁いで来る事になった。書といっても扇面の小品であるが、普通の家庭で掛けて楽しむには、これくらいが丁度いい。翁の特徴的な書体で、誰が見てもそれと判るものだ。出来れば、易辞の類であったら猶よかったのだが、そこまでの贅沢は言うまい。ダイソーの200円額縁に入れてみたのだが、そのまま挟み込んだだけだと、だんだん下にズリ落ちてくるので、黒い画用紙を扇子の大きさに切り...
根本義塾
- 2020/03/17
- 18:07
羽嶽根本通明翁のご子孫が、西東京市にて根本義塾という学習塾を開いておられるのを最近になって知った。塾長の根本通裕氏は、難関として知られる早稲田の理工学部を出て、エンジニアをされていた方らしい。HPに載せられているお写真を拝見すると、通明翁とはそれほど似ておられないようにも思うが、じっと見ていると、どこか彷彿とさせるところもあるような気がする。通明翁が一族のうち、如何なる位置に居られる方かは判らぬが、...
根本通明イエマイル
- 2020/03/14
- 10:46

庵主が秋田出身で明治期易学界に君臨せられた羽嶽根本通明先生に心酔している事は古くから拙ブログをお読みくださっている読者諸賢なら良く御存知の事と思うが、少し前、この通明翁のイエマイルを行ったのでご紹介したい。ちなみに、面白い事だが、刈和野にある生家跡には蒼流庵随想初のキリ番プレゼントをゲットした御仁の御親類が現在住まわれているという話だ。今回イエマイルを試みたのは、上京して一世に鳴る大家となり、晩年...
蒼流庵、蒼竜庵へ行く~イエマイル番外編~
- 2020/03/11
- 18:26

以前、全国には蒼流庵ならぬ蒼龍庵なるものが数か所あるのを知り、何かのついでに立ち寄る事が出来た場合のみ、足を運んで来た。暇つぶし同然の他愛のないものではあるが、何やら奇妙な感動めいた感情が胸中を去来したのも事実だ。少し前、猪苓探しで東北へ遠征した帰りであったか、沼津にある蒼竜庵へも行ってみたのだが、この時は、日没ギリギリの到着だった為、暇つぶしにしては必死な車の飛ばし方をした記憶がある。もっとも、...
林大学頭邸跡
- 2020/03/08
- 12:41

神田明神境内にて荷田春満の國學發祥之地碑を目にした事がきっかけとなり、しばらく柄にもない国学がらみの記事ばかり書いてしまったが、この神社が以前に足を運んだ湯島聖堂に隣接している事を当日境内から聖堂を望み見て、ようやく実感する事が出来た。昌平黌を司った林家の邸宅跡は、皇居東側の二重橋近くにあった事が古地図でも確認出来る。付近の案内地図には一応所在が記されているが、残念ながらイエマイラーを痺れさせてく...
『古代国語の音韻に就いて』橋本進吉著
- 2020/03/05
- 18:33

『古代国語の音韻に就いて』橋本進吉著(岩波文庫/1980年初版)連日契沖の史跡を巡り歩いていて、ふと昔読んだ一冊の本を思い出した。それは岩波文庫の一冊として版を重ね続けている橋本進吉(1882~1945)の『古代国語の音韻に就いて』で、江戸時代の学僧という程度の漠然とした認識しか持っていなかった契沖阿闍梨が国学史上いかなる業績をあげた人物なるかを庵主に知らしめた書物こそ、この名著に他ならなかったからである。そ...
契沖の史跡を訪ねて②
- 2020/03/02
- 18:12

圓珠庵(大阪市天王寺区空清町4-2)契沖の墓所がある圓珠庵は、真田山公園を少し西に上ったところに在って、庵主は2011年に華岡鹿城の墓参の為、一度訪れたことがある(契沖忌の1月25日のみ公開)。鎌八幡の境内に養寿庵を移築して「圓珠庵」と名付けたものといい、大正11年には境内が大阪市初の国の指定史跡となった。重要文化財指定を受けた同庵所蔵の契沖の稿本類は、現在、府立中之島図書館に寄託されている。契沖 生誕の比定...