あの人は今~懐かしのアクション俳優~
- 2020/07/29
- 19:54

今youtbeで主として80年代の香港クズ映画の数々を視聴してみると、最近ではさっぱり見かけない演員たちが沢山出て来て面白い。「あの人は今」などといってアイドルの成れの果てを覗き見る下品な番組を好むのは我が同胞に限った事なのか、それとも中国でも同じく品性劣悪なる同じような番組が製作されているのか、庵主は甚だ不案内であるけれど、懐かしのアクション俳優たちの其の後の消息はファンの一人として気にならない事もな...
懐かしの香港映画たち
- 2020/07/25
- 12:55

『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』に限らず、80年代は主体的な映画視聴の殆どを香港映画が占めていたように記憶している。今はゲオもツタヤも旧作100円だが、この頃は300~400円くらいしていただろうか。当時は別段それを高いとも思わなかったが、今からみれば考えられない値段だ。沁みついてしまった貧乏臭いデフレマインドが恐ろしい。一番よく観たのは、『霊幻道士』の一作目(1986)だろうか。これはもう50回やそこ...
倩女幽魂
- 2020/07/22
- 18:32

『聊斎志異』への言及ついでに、其の中の一説「聶小倩」を原作とした或る映画について触れておきたい。言わずと知れた『倩女幽魂』、我が国では『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』の名で知られる香港映画だ。集金人として糊口をしのぐ貧乏書生が郭北県の荒れ寺・蘭若寺で出会って女幽霊と恋に落ちる物語で、そこに、同寺に巣食う老木の妖怪との闘いが絡めて描かれるものだが、実のところ原作に目を通していないので、どの程度...
『諸怪志異』諸星大二郎著
- 2020/07/19
- 13:55

『異界録』諸星大二郎著諸星大二郎(1949~)の代表作として、Wikipediaは『妖怪ハンター』『西遊妖猿伝』『栞と紙魚子』の三作を挙げている。発行部数の上位三位までを順番に並べたものなのかどうかよく判らないが、私なら迷う事なく『諸怪志異』を推す。処女作の『暗黒神話』を第一に推す人も少なくないが、『孔子暗黒伝』と同じく、だんだん話の内容がよく判らなくなって来るのは同様で、その点、本シリーズは単純明快な一話完...
『孔子暗黒伝』諸星大二郎著
- 2020/07/16
- 18:15

『孔子暗黒伝』諸星大二郎著若年の頃は『易』など読むと頭が悪くなるという理由で敬遠していたとされる狩野直喜(1868~1947)も、『論語』述而に従って、五十にして『易』を読み、七十にして大変好んだというが、庵主の場合、まず最初に手を付けた儒教経典は『易』で、『論語』を読んだのは随分後になってからだから、経典の読み方としては、王道(?)とは真逆の手順を踏んだ事になる。が、白状すれば、『易』より『論語』よりず...
『論語』ヒストリー
- 2020/07/13
- 18:11

成立年代の古い古典的書物は、其の変遷と需要の歴史が複雑怪奇であるのを共通項としていると言って良いが、当然『論語』も其の例に漏れない。書名にしても、孔子の没後に門人等の集めた師の言葉が、確かに孔子の言説であるかどうかを議論して作られたので『論語』というタイトルが付けられたというが、昔は『老子』『孟子』などのように、人名即ち書名であったから、『論語』という名称はずっと時代が下るものである。実際、『孟子...
『論語』における隠者
- 2020/07/10
- 18:14

『論語』には賢愚善悪様々な人物が登場し、それらに対する孔子の評も面白いものだが、私が取り分け魅力を感じるのは、儒者やその理想像たる古聖賢などよりも、寧ろ狂接輿や長沮・桀溺といった所謂“隠者”、つまりは孔子らが理想としなかった一群の人々である。しかし、それらの人物に対して、孔子は自分とは異なる道に属する人々であるという認識を示して居ても、決して彼らを否定したり、見下したりしている訳でない事は『論語』を...
ようこはよいこ?
- 2020/07/07
- 18:11

歴史というのは、常に勝者の手によって著される為に、敗者の側が悪し様に描かれるのは避けがたいが、あまりに酷くなると時に実際の史実とはかけ離れたものになるという危険性を持っている。正確に言うなら、歴史というのは元来体制の正統性を担保する為に書かれたのが最初であって、よく言われるような客観的な歴史であるとか科学的な歴史学というのが本来は虚構に過ぎないのだ。もっとも、執筆者によって覆われた側面に光を当てる...
不惑之年
- 2020/07/05
- 10:31

俗に“論語読みの論語知らず”等というが、『論語』を“読む”という事がどれほど大変であるのかは先述したし、徂徠の如き非凡なる『論語』読みでさえ、其の身に孔子の精神を体現出来ていない事からすると、本当の意味で言えば、“論語読みの論語知らず”という境地といえど、そう容易には見出し得ないものであるという気がする。実際には、『論語』の意釈訳解の類さえ通読する事なく、慣用句と化した孔子の言葉を的外れに引用し、教養人...
使乎使乎
- 2020/07/01
- 18:55

『論語』は、孔子と弟子たちとの印象的な問答の記録によって構成されて、いずれもが味わい深い独特なる魅力を持っているのだが、憲問第十四に見えている孔子が蘧伯玉の使者に関心するところなど、私の好きな一節である。蘧伯玉、人を孔子に使いす。孔子、之に座を与えて問ふて曰く、夫子何をか為す。対へて曰く、夫子は其の過ちを寡くせんと欲して未だ能はざるなり。使者出づ。子曰く、使なるかな、使なるかな。(蘧伯玉が孔子の許...