『春秋左氏伝』に見える命名法五類
- 2020/09/28
- 18:09
『春秋左氏伝』桓公六年の条に、名付けの根拠として五種類の方法がある事が出ている。九月丁卯の日(二十四日)に子同(後の荘公)が生まれた。太子誕生の礼をもって誕生の儀式を行い、太子に接見するのに、牛・羊・豚のご馳走を供え、うらなって士を選んで太子を負わしめ、士の妻をうらない選んで乳母とした。桓公は夫人文姜及び同姓の大夫の妻とともに太子に命名することになった。そこで桓公は命名のしかたを大夫の申繻に下問す...
凶名なるやキラキラネーム
- 2020/09/25
- 18:53
「最近の名付けは読み方からして判らないものが少なくなく、そういう名前は立筮の結果も良くない場合が多い」という意味の事を以前御法川先生が仰っていたが、要はキラキラネームの類は得てして凶名という事なのではなかろうか。三年前、“今でしょ!”の林修先生が、キラキラネームと学力の低さは相関性があるという自論をテレビで展開した事があって、さもありなんと思ったものだった。尤も、こんな事は言われる前から何とはなしに...
周易による姓名判断②
- 2020/09/22
- 18:04
正直なところ、画数に依拠した姓名判断ということ自体が気に入らない自分としては、姓名の画数を易卦に変換する紀藤式も今一つピンと来こない。そもそも、名前には込められた意味が一瞥して明瞭なるものもあって、例えば、安倍晋三サンはやはり火地晋六三の意味を見るべきだと思うが、画数を卦に直したところで火地晋にはならないし、昔『易学研究』に投稿して水沢節二の筆名を用いた人が居るけれど、この筆名にしても画数では本来...
周易による姓名判断①
- 2020/09/19
- 21:59

『姓名と運命』の第三篇「新姓名学の樹立」の中に「姓名の易卦表示」なる項目があって、姓名の画数を易卦に変換する方法が解説されている。このやり方は、元来無筮立卦法の一種であって、姓名学上の方法としては邪道と言えば邪道に思えるが、熊崎式の秘伝の一つであるという話をどこかで読んだ覚えがある。実は、紀藤元之介先生も名付けに関しては此の方法に拠っていたという話を麻野先生から聞いた事があるが、或いは御法川先生か...
『姓名と運命』吉武竹雄著
- 2020/09/16
- 18:32
汗牛充棟の観を呈する姓名学について書かれた数多の本の中より一冊選べと言われたら、迷う事なく吉武竹雄著『姓名と運命』を挙げる。加藤大岳氏の紀元書房から昭和12年に出た本で(それ故稀覯書の類らしく滅多に市場に出ないようだ)、各種姓名判断について批判的見地から論じ、正しい名前の付け方を確立しようとしたもの。冒頭は若干残念な書き出しで始まっている。最初に近衛文麿(1891~1945)と小林一三(1873~1957)の二名が...
姓名判断に対する態度
- 2020/09/13
- 10:28

管見の限り、姓名判断に対して取るべき最も穏当な態度の表明と言えるのは、加藤大岳氏が『易占法秘解』の中で述べておられるそれであると思う。該当箇所を引用、読者諸賢の参考に供させて頂く。姓名が良ければ健康になるというのは、運命學としての姓名學の一つの『理想』である。如何なる流派の運命學も、此の『理想』を目標として打建てられてゐる。これは姓名學ばかりでなく、易でも家相でも同様である。――― 而して、右の『理想...
姓名判断に対する不信②
- 2020/09/10
- 18:16
所謂姓名学では、運命を支配する諸々の要素中、姓名を最も重要視して、あたかもそれが一生の運命を支配すると言わんばかりであるが、私がまず疑問に感ずるのは、そもそも姓名は後天的な要素で、名付けを行った人間の人為的な所産であり、誕生時にはDNA情報含め、諸条件の大部分が変更不能である一人の人間が誕生後の名付けによって絶対的に運命を決定されるのかという点である。柄にもなくスピリチュアルな妄言を吐いてみるけれど...
姓名判断に対する不信①
- 2020/09/07
- 19:25
私の東洋医学の師は戦時中に熊崎健翁に学んでいるから、私にしてみれば熊崎健翁は大先生という事になる訳だが、今もって姓名判断には興味を持てずに居るし、正直信用もしていない。師も熊崎式姓名学を継承しておられたから、随分名付け親にもなっておられたらしいが、それが私の知る限り、あまり開運に繋がったようにも思われないから、猶更其の不信が募るのであろう。もっとも、全てを追跡調査した訳ではないし、たまたま私の知る...
衆、允とす。
- 2020/09/04
- 18:11
『漢書芸文志』に「易これが原となる」と記述されるように、漢代以降『易』の思想が諸々の東洋文化の深部にまで食い込むが如き様相を呈する事になった結果、我々は知らず知らずのうちに『易』を来源とする思想や言葉に接するようになっているが、本来占筮書に過ぎないものがかかる現象を惹起せしめた例は古今東西他に類を見ないのではなかろうか。別段支那の古典に対して深い造形を持たない極く普通の人々でさえ、“虎視眈々”とか“...
『日本経済のトポス』日高普著
- 2020/09/01
- 18:15

『日本経済のトポス』日高普著(青土社/1987年刊)正統な学問的修養を積んだ人の場合、専門外の分野、つまり素人の立場でさえ、立派な成果を挙げ得るという見本として日高普先生の『日本経済のトポス』を取り上げる事にしたい。経済学者が経済の本を書く事のどこが素人に該当するのかと言われる向きもあろうが、著者の専門は資本主義の原理の研究という抽象理論であって、経済史という謂わば歴史学に関しては門外漢だから、やはり...