蒼流庵易学講座の拘り
- 2021/02/27
- 20:24
蒼流庵易学講座では幾つか拘っている点があって、まずは既成のテキストを一切使用しない事である。巷間では岩波文庫本や朝日選書本を利用する事も多いらしく、それはそれで少々講師の程度が低くとも内容が或る水準以下に下がるのを防ぐ装置として働いてくれる可能性もあるが、既存の書物は注解の併記が基本となるから、どうしても煩雑になる事は避けがたいし、何処かに丸で気に入らない記述があったとしても、そこだけ除去する訳に...
快調なる蒼流庵易学講座
- 2021/02/25
- 18:11
月曜は蒼流庵易学講座第七の回だったが、序卦20番目の風地観が終わったので凡そ全体の三分の一まで歩を進めた事になる訳だ。私にとって人様に易を教授するというのは初めての試みである為、試行錯誤の連続であるけれど、否そうであるからこそ上経修了まであともう少しというところまで思った以上に早く来たという実感がある。毎週四卦を目標にしているが、初めの内は最低限のイロハともいうべき約束事を覚えて頂かなくてはならない...
観相人物評論
- 2021/02/22
- 21:40
遥か遠い過去を仰いで其のうちにユートピアを見出すのはどうやら人間が持って生まれた宿命的な習性であるらしく、『黄帝内経素問』の首を飾る「上古天眞論」を観ても其の事が良く判るというものだ。しかし、化石人類の遺物を調べても「上古天眞論」で説かれているような長寿が上古に当たり前であったという証拠は見出す事が出来ず、結局は御伽噺の範疇と解する他なかろう。だから恐らくは、顔之推が近古以来もっとも精妙な卜筮者と...
千古不易
- 2021/02/19
- 18:13
随分前に達人伝説の虚像と題して三回に渡る連載を行ったが、人間の精神構造というのは千古不易である事を『顔氏家訓』においても知る事が出来るようだ。顔之推は、自分の見るところでは近古以来もっとも精妙な卜筮者といえば京房・管輅・郭璞の三人だけだと言っているが、この内もっとも時代が近い晋の郭璞にしても、之推を遡る事三百年近い人物であって、結局は潤色された(であろう)逸話から構成された像を脳裏に描いて言ってい...
京房の律管占
- 2021/02/16
- 18:23
京房は一般に擲銭法の創始者とされて、断易が擲銭を以て正統なる立卦法とする一つの根拠ともなっているけれど、既に見てきたように擲銭の起源は恐らくは唐宋間にまで下るものと考えるべきであろう。従って漢易諸家も基本的に蓍策を用いて卦を布いていたに違いないと私は思うが、『続漢書』律暦志(司馬彪)に、六十本の律管につめた灰によって占候する京房の奇妙な技法が出ている。候気の法、室を三重に為し戸を閉じ、塗釁必す周く...
死せる京房
- 2021/02/13
- 09:04
前回の記事で、京房こそ断易の源流であると書いたが、象数易(厳密には象数易と占候易は分けて考えるべきだが、ここでは便宜上占候易も象数易に含める事とする)そのものは孟喜を開祖とすべきで、同時代人たる焦延寿も象数易の大家と称して差し支えないが、やはり焦延寿の門人たる京房こそ其の大成者なのであった。しかし、漢易と言えば我々はすぐに象数易とイコールで結んでしまいがちであるけれど、漢初にはまだ義理訓詁を主とす...
返り討ちにあった京房
- 2021/02/10
- 18:30
『顔氏家訓』の中で、著者は災いに罹った卜筮の名人として京房、管輅、郭璞の三人の名を挙げているが、筆頭に挙がっている京房は断易の源流と言って差し支えない人物である(断易の開祖を鬼谷子とする説あり、また京房は漢易の創始者でもないが、現在行われている断易が範をとるのは現行本『京氏易伝』であり、存在自体が怪しい鬼谷子などは言うに足りない)。易は易でも周易のほうは大陸ではとっくの昔に断易に易占法の王座を明け...
鬼神の嫉み
- 2021/02/07
- 13:20
北斉の顔之推が著わした『顔氏家訓』の雑芸篇に卜筮について面白い事が書いてある。(訓読)卜筮なる者は聖人の業なり。但だ近世は復た佳師無く、多くは中つ能はず。古者は卜して疑ひを決せしも、今人は疑ひを卜に生ず。何者、道を守り謀を信じて、一事を行はんと欲するに、卜に惡卦を得れば、反りて恜恜たらしむ、此れの謂か。且つ十に六・七を中つれば、以て上手と爲し、粗々大意を知れば、又 委曲せず。凡そ奇偶を射すれば、自然...
恐るべき周易
- 2021/02/04
- 18:01
宇治左大臣・藤原頼長は、『台記』において、易を学ぶ者には凶があるとか、五十歳以後でなければ読んではならない等という当時の俗伝を根拠なきものとして否定しているが、失脚したのちは政敵に追い詰められて保元の乱で非業の死を遂げ、悪左府(あくさふ)の異名で史上に記録された人物である。頼長は、貴族階級の腐敗が末期的症状を呈した平安の終わりにあっては珍しい強固な意志を以て綱紀粛正に情熱を燃やした人物であり、また...
アラフィフよ、易を学べ
- 2021/02/01
- 18:05
『論語』述而篇に見える「五十にして易を学べば云々」の「易」字が魯論では同音(エキ)の「亦」になっていたという陸徳明『経典釈文』の記載により、孔子はそもそも『易』など読んではおらず、くだんの言も「五十歳にしてまた学びを深めるならば、大きな過ちをする事はなくなるだろう」という全く別の意味なのだとする説は、蒼流庵随想の読者諸賢には周知であろうから今更贅言を弄する事は控えたい。浅野裕一「孔子は『易』を学ん...