算木箱を制作
- 2021/06/28
- 19:45

易学講座の第一回目に立卦具の解説を行って、とりあえず実占に必要なお道具類が必要になるが手軽な八面賽辺りから始めるのが現今の主流とご説明してみたら、きちんとしたものを揃えるところから始めたいとのこと。ジャンル問わずお道具に凝るタイプの人なので、さもありなんといったところだが、最高のお道具から始めて自分を追い込むのも挫折の防止機構として働くかもしれないから、まずは3年ほど前に作った蓍策を進呈、お次は算...
俺たちは天子じゃない
- 2021/06/25
- 18:26

許慎の『説文解字』に「天子の蓍は九尺、諸侯は七尺、大夫は五尺、士は三尺」とあって、身分によって用いる蓍策の長さが規定されているが、これは支那人の好む勿体ぶったお決まりの数合わせで、種明かしをすれば、亀卜に用いる亀甲は陰の物であるから対になる蓍は陽となり、そこで天子の蓍が最大の陽数である九となって、あとは身分が下がるに従い小さい奇数になる仕組みである(ちなみに『禮三正記』には「天子の亀は長さ一尺二寸...
泰卦妄説
- 2021/06/22
- 18:11

現在我々が用いるところの筮竹は、一方が細く、もう一方が太くなっているが、これは揲筮時に上になる太い方が天を表し、下になる細い方が地を表していると言われており、又、かかる加工を施す事によって扇型に開く操作がやり易くなるという事も理由だという。ところで、よく考えてみれば、ノコギリソウで蓍策を作ると扇型に開きにくいというのは、蓍の基原がノコギリソウでなくメドハギであった事の傍証にはなりようがない筈だ。な...
ノコギリSaw
- 2021/06/19
- 12:30

自分的にはノコギリソウを蓍の基原に比定するのは不適当としか思われないのだが、とはいえ本草学も易学も共に中国発祥、あちらの人間にしてみたら、メドハギなどで蓍策をこさえて悦に入っている日本人などそれこそ笑い者ではなかろうかと思うと、なんとはなしに愉快ではない。そこで、念のためノコギリソウでも占具を作ってみる事に。先日、易の生徒さんと一緒にメドハギを採取したのは既に記事にしているが、同じ場所で逸出帰化と...
蓍草園
- 2021/06/16
- 18:32
かねてより、中国で蓍の基原にキク科のノコギリソウを充てているのが納得出来ず、古書に散見される性状からしてメドハギのほうがずっと穏当の筈と信じているのだが、先日ネット検索していて、中国でも地域によってはメドハギを充てている場合があるらしいと知り、自説の正しさをより強く確信する事が出来た。このサイトに掲載された写真を見ると、河南省駐馬店市の蓍草園にワサワサ生えているのは紛れもなくメドハギである事が判る...
蓍筮再論
- 2021/06/13
- 09:08
我々は漠然と古くは易占の立卦具として蓍を用いていたのが後に竹で作った筮で代用されるようになったという風に考えているが、本当にそうなのか。金谷治氏は「筮は、必ずしも今日の易筮そのものを意味するとは限らないが、おそらく巫によって発達してきた一種のうらないであることはまちがいない。それは竹と関係していたのであるが、蓍に関係するうらないと混合したのである。いずれも神聖な植物として、それぞれに特定の神意を伝...
蒼流庵易学講座番外編~野外学習~
- 2021/06/10
- 19:05

一昨日、蒼流庵易学講座の野外学習回として、占具に使用するメドハギの採取に繰り出すことに。ここは最寄りの自生地(?)で、あまりに近場過ぎて近所の人にでも見られたら少々恥ずかしいから、これまで此の場所での採集を行った事はないのだが、仕事の中休みに繰り出すには遠方では具合が悪い為、思い切って決行。ここで採取してこなかったのにはもう一つ理由があって、それは除草隊がこの季節せっせと刈り取って回っている為、い...
繋辞伝へ
- 2021/06/07
- 19:55

本日の第二十二回蒼流庵易学講座より愈々繋辞伝に突入。二十二回を卦に置き換えると朋友講習の兌為沢となるのが何やら感慨深い。いうまでもなく繋辞伝は易の概論総説といった内容で、正直あまり面白いとは思えないのだが、学者センセイの類は経文より先に総論の繋辞伝から読み始めよと薦める人が少なくないらしく、狩野直喜なども其の一人であった。繋辞伝がハッタリないしコケ脅しを連呼する甚だ仏典めいたところのある事は以前に...
四万十すっぽん
- 2021/06/05
- 19:33

鼈道に足を踏み入れた当初から、高知の四万十川ではいつの頃からか養殖場から逃げ出したと思しきスッポンさん達が野生化して大繁殖しているらしいという噂を耳にしていた。さすが日本一の清流というだけあって、そこで育ったスッポンさんは臭みが少なく、泥抜きの必要さえないという。四国には時折出向くので何かのついでに釣り上げてやろうと思いつつも、四万十は高知の隅っこで中々機会を持てずに居て、昨年はコロナ騒動で鼈期の...
師は師たり、弟子は弟子たり
- 2021/06/01
- 23:32
弟子に裏切られたとコボす師匠を屡々見かける。つい先日もそんな話を身近に聞く機会があったが、私に言わせれば弟子に師が裏切られたのではない。最初から師も弟子も存在していなかったのだと言えば話が何やら哲学的な様相を帯びて来るけれど、至って簡明至極な話で、弟子だ師だというのは端から当事者の思い込みに過ぎなかったのではないか、少なくとも私などにはそんな風にしか思えないのである。『論語』顔淵第十二には「君は君...