筮竹のはなし
- 2021/09/27
- 18:35
立卦具の王様のように思われている“筮竹”が蓍策の代用品として登場した新参者であることは、これまでも再三論じて来たが、そもそも何故代用品の方が幅を利かせるようになったのだろうか。山崎闇斎が筮儀の解説に筮竹を用いた事例はあるものの、実際に蓍策が姿を消して筮竹にとって代わられるのは新井白蛾以降であるというが、どうもこれは学問上の理由ではなく、孰れかと言えば当時のマーケティングと絡めて論じるべきものであるら...
蓍策の効用
- 2021/09/24
- 18:31
蓍策を用いて卦を起こすようになって暫く経つけれど、以前から話にのみ聞いていた或る現象に遭遇するようになった。その現象というのは、立卦前の段階で得卦を感得するというもので、他の筮具を用いていた頃には一度も経験した事がなかったが、蓍策に代えてから頻繁に遭遇していて、どのような大成卦が得られるか察知してしまうというのも屡々ながら、下卦を起こした段階で上卦に何が来るか何となく判るという程度のことは日常茶飯...
回想の白蛾生誕祭
- 2021/09/21
- 18:11
先日、『易学研究』に載った岳麓精舎の宿泊例会の記録を読みながら、以前金沢で行った白蛾生誕祭のことを思い返していた。占い師の類とは関わりたくもないので、易友と呼べるのは現在奈良場老師おひとりが唯一の例外と言って良い存在だが、或いは易関連の合宿などあれが人生最初で最後かもしれない。2015年の9月だから、もう六年も前のことだ。一泊二日のやや忙しない日程の小旅行であったが、あれは実に楽しかった。温泉も何年振...
応卦・不応卦、その根底にあるもの
- 2021/09/18
- 16:23

『易学研究』昭和43年9月号に、同年8月常陸の五浦観光ホテルで行われた岳麓精舎の八月例会の記録が掲載されている。このホテルは横山大観や下村観山らの別荘を基に建てられたというのだが、この両日本画家の画号が何れも風地観から採られているのが面白い。メンバーは総勢24名、加藤大岳以下、紀藤元之介、田中洗顕、大熊茅楊、加藤普品、菅原壮、柳下尚範、小林喜久治といった錚々たる顔ぶれであるが、半世紀以上前の催しであり、...
得卦と占考
- 2021/09/15
- 20:02
紀藤元之介氏のような不応卦否定論者にとって得卦というのは絶対的なものであるらしく、誤占は読卦の未熟によって生じる現象であると解されているようだが、いずれの論陣においても得卦と占考が分断されているらしく思われる点には少々気になるところがないでもない。前回の記事で、揲筮時に占者の手元に何者かが降臨している可能性について言及したが、この何者かは得卦にのみ関わって来て占考には一切ノータッチだ等と言うことは...
揲筮時に来たりしもの
- 2021/09/12
- 10:08
今日は少々与太話系。一月からベーシックな内容の周易講座を開講しているが、生徒さんには習うより慣れろで六十四卦の解説を始める前に一応筮儀と簡単な読卦の手順をお伝えしたところ、まだ上経の半分位までしか進んでいないという段階で早くも求占の依頼を受けたのだという。ずいぶん気の早い話だが、易を習っているという話をうっかりしてしまったところ、じゃあ観て欲しい事があるからとか何とか言われてつい引き受ける仕儀に相...
二択と酬錯
- 2021/09/09
- 18:12

不応卦があると仮定したところで、だからどうなんだと言われたらそれまでの話、得卦が応か不応か見分けるすべがない以上は、結局のところ示された卦爻と睨めっこして何とかそれらしい断を下すより他はない。真勢流では、得卦が神明に酬錯しているかどうかを験するのに、得卦の内卦と二爻の爻卦が同じか、外卦と五爻の爻卦が同じであれば、これを酬錯していると見做すとしているが、こんなものが役に立たないのは火を見るよりも明ら...
易を善く為るものは占わず
- 2021/09/06
- 20:48
発言の前後を恣意的に切り取って抜き出し、本意を捻じ曲げて発言者の評判を落とそうとするのは、気に食わない政治家などに嫌がらせをする時にマスコミが常套手段として用いる手法であるけれど、だいたい悪意がなくとも人間の意志疎通というのはそもそもからしてデリケートなところが往々にしてあるもので、我々も日常において誤解を重ねて迷惑をかけ或いはかけられるのはよくある話だ。文章にもこれはそのまま当てはまるが、記述の...
紙幣と子平
- 2021/09/03
- 18:12

いよいよ渋沢新札の印刷始まるを新聞にて知らされたが、此の何処の発展途上国の紙幣かと見紛うような下品なデザインの新札については以前一度記事にした事がある。ゆえに同じ内容は繰り返さないが、庵主もたいていの日本男児がそうであるように古銭と紙幣のコレクションに血道をあげた事のあるクチで(古銭と切手はのちにコレクターとして覚醒する男が受ける洗礼の二大であろう)、その経験から言わせてもらえば、日本の紙幣は古い...
久しければ則ち神ならず
- 2021/09/01
- 18:09

『詩経』小雅の小旻に「我が亀既に厭(いと)い、我に猶(はかりごと)を告げず」とあって、鄭箋は「卜筮数々(しばしば)して亀霊を瀆す。亀霊これを厭いて、復た其の図る所の吉凶を告げず」と注している。これを山水蒙に見える再筮云々を引いて解するのが普通に行われている読みであるけれど、私はかねてからこれは希望の兆が出るまで同じ事柄の占を繰り返すと正しく吉凶を告げなくなるという意味ではなく、惰性で占するようにな...