習わざるを伝えしか
- 2022/09/28
- 18:52
気が付けば春からスタートした蒼流庵オンライン易学講座も半年が過ぎ、序卦38番目の火沢睽まで読み進めた。心なしか初めは緊張の強かった参加者諸氏も幾分ほぐれて来た様子で、こちらとしても少しやり易くなって来たように思う。と言っても相変わらず御質問は少ないのだが、もしかするとこれは庵主の講義が余りに明晰を究めて疑問の湧く余地が皆無に近いという単純な事実の反映に他ならないのではあるまいか等と調子の良いことを考...
遠くの顔~公田連太郎~
- 2022/09/25
- 10:27
田中半七は気骨があり、手をついてお辞儀する時は、古武士の風格があった。いつも公田先生の隣か私の隣にすわった。「きょうはこういうのを作りやした。」と云って、漢詩を書いてくる。私は無学だからさっぱりわからない。先生のところへもって行ってもわからない。無学でもわからない。学問があってもわからない。皆、字を作るのだからわからないはずだ。五言絶句の時、六言七言あれば都合がわるい。そういう場合、あえて一字にし...
遠くの顔~小杉放庵~
- 2022/09/22
- 18:11
われわれが集っているアトリエに、時々白ひげの柔和な目をした老人が顔を出した。これが公田連太郎先生であって、放庵宅の茶の間の客であった。勿論放庵より年上である。先生は小石川の至道庵で、無難禅師のことを調べているところであった。無難、正受老人、白隠と法系が続くが、至道庵にはその文献があったので、先生はそこに起き伏されていた。ある日、先生は放庵のところへ相談に来た。「結婚しようと思うのだが、どうであろう...
竜門寺
- 2022/09/19
- 10:00
私の漢文の先生は故小川芋銭と友達であったから、もう八十より九十に近くなられただろう公田連太郎先生である。先生が易学にもっとも熱情をもっていられるのは、先生が根本通明の門下であるからであろう。先生は「国訳漢文大成」八十八巻のうち、三分の一以上訳註されたから、知っている人は知っているだろうが、知らない人の方がずっと多いのである。先生は二十一歳から南隠老師の講筵に列席し、禅の究明を生涯の仕事に思っていら...
真福寺~公田連太郎仮寓之地~
- 2022/09/16
- 18:12

朝日新聞に載った森本記者の取材記事において、公田先生が三浦半島の佐島に寄寓していた大正7年、津波に蔵書をさらわれ、仏典・漢籍のみが砂浜に残ったという、其の後東洋の典籍一すじに歩む契機となった事件が紹介されているが(記事中、大正七年とあるのは恐らくは間違いで、前年の大正6年10月1日の台風による津波被害と思われる)、三浦半島時代の公田連太郎を語るならば、やはり北原白秋に触れぬ訳にはいくまい。白秋が初めて...
公田連太郎先生と漢学
- 2022/09/13
- 18:35
漢方をはじめてから誰れかよいお師匠さんに漢学を教えて頂きたいと考えていた。われわれの父祖は、漢学の教養によって育てられ、身を修め、家を斉え、進んでは国を治められた。漢学は大人の学だ。加藤清正が「以テ六尺ノ狐ヲ託スベク、以テ百里ノ命ヲ寄スベク、大節ニ臨ミテ奪ウベカラズ、君子人カ、君子人ナリ」という論語の一句に感じて、豊臣秀吉の遺児秀頼を守る快心を固め、終生の清節を全うしたように、漢学の垂訓は人生各般...
至道庵を訪ねて
- 2022/09/10
- 09:50

至道無難禅師遷化の地である至道庵は、かつて尾州犬山の輝東庵、信州飯山の正受庵と並んで天下の三庵に数えられ、臨済宗に於いて尊重された霊域であったが、他の二庵が今も存するのに対し、至道庵は幾度も廃滅を繰り返して今日跡形も無くなっているのは誠に残念なことである。至道庵は、延宝二年(1674)の春、小石川戸崎町に禅師が金五十兩を以て購い、隠居所としたもので、二年後に禅師の遷化されし後は、百年も経たないうちに荒廃...
『至道無難禅師集』公田連太郎編著
- 2022/09/07
- 18:37

春秋社新装版公田連太郎先生の訳業と言えば、『資治通鑑』の全訳を収め、全体の三分の一を手掛けられた「国訳漢文大成」や、『荘子講話』など殊に世評が高いが、それらは然して誇るに足る程の仕事ではなかったもののようで、漢学者ではなく禅僧の成り損ねを以て自任しておられた先生には漢籍よりも寧ろ仏典関連に取り組んだものの方がより満足のいく仕事であったらしい。その内もっとも傾注して取り組まれたのが、江戸時代初期の臨...
易経講話之地
- 2022/09/04
- 10:01

明徳出版社より上梓され、洛陽の紙価を高からしめた『易経講話』全五巻が文字通り講話の草案を元にして成立した書物であるのは書名の通りであるが、かねてから講話地のイエマイルを念願していて此の夏ようやくそれが実現し、喜びもひとしおである。明徳出版社版の元になった謄写版を実見していないので確かなことは言えぬが、公田翁の『周易』講話は、戦前の老荘会に於いても行われていて、戦争により中断を余儀なくされたらしい。...
公田連太郎と老荘会
- 2022/09/01
- 18:36

公田連太郎先生は一度も定職についたことがなく、一生を清貧の中に送った隠儒であるが、「国訳漢文大成」中の『資治通鑑』の全訳に取り組んでおられた際、これだけの大学者を遊ばせておくのは勿体ないと、友人の小杉放庵(1881~1964)が田端の自宅に公田先生を囲んで漢籍の講義を聴く集まりを作り、これを“老荘会”と称した。まず『荘子』から始めて、内篇、外篇を終えるのに四年かかり、それから『詩経』『文選』を経て、『易経』...