『高島嘉右衛門 横浜政商の実業史』松田裕之著
- 2023/02/26
- 10:25

『高島嘉右衛門 横浜政商の実業史』松田裕之著(日本経済評論社/2012年刊)従来の嘉右衛門伝が全てと言って良いくらい呑象自身の証言を全て鵜呑みにして編まれているのに対し、今日ご紹介する松田裕之『高島嘉右衛門 横浜政商の実業史』は、現存する事業関連の公的文書や呑象を取り巻く人物群に関する史料によって呑象の懐旧譚を検証した面白い評伝である。紀藤元之介『乾坤一代男』や高木彬光『大予言者の秘密』が、呑象を数々の...
呑象と象山
- 2023/02/23
- 10:02

今更申し上げるまでもないけれど、まっとうな知識人の間では占いなど女子供の玩具といった程度にしか認識されておらず、『日本史をつくった101人』を読んでもそれがよく分かるというものだ。本書は、日本史をつくった重要人物101人を語る座談会の内容を書籍化したもので、顔ぶれは、伊東光晴(京大名誉教授 / 1927~)・五味文彦(東大名誉教授 / 1946~)・丸谷才一(芥川賞作家 / 1925~2012)・森毅(京大名誉教授 / 1928~2010...
学問に就いて
- 2023/02/21
- 18:37
学問は人を善くもし、悪くもする。また、無学な馬鹿は害も少ないが、学問を身に着けた姦佞邪智の徒が世を害することは甚だしい。学問と言っても東洋の伝統的なそれは本来自身の修養の為のものということになっているから、幾らのめり込んだとて害などあっては困るのだが、所詮それは建前の話である。ただ、北宋の滅亡を招来したとして昔から頗る評判の悪い蔡京など、際立った学問があって国に害を成すこと甚だしい人物であったが、...
易の失は賊
- 2023/02/19
- 10:38
『礼記』の経解第二十六に、「詩の失は愚、書の失は誣、樂の失は奢、易の失は賊、禮の失は煩、春秋の失は亂なり」とあって、新釈漢文大系本の通釈は「詩経は人を愚(単なるお人よし)にし、書経は人を誣(ほら吹き)にし、楽経は人を奢(嬌慢)にし、易経は人を賊(反社会的)にし、礼経は人を煩(礼儀に口うるさいこと)にし、そして春秋経は人を乱(口才や文才にまかせて放縦)に流れしめるのである」と口語訳している。新釈漢文...
治未病之思想
- 2023/02/16
- 18:27
先週行った第21回蒼流庵易学講座では、番外編として「治未病之思想~東洋古典に医術の理想像を探る~」と題し、特別講座の回とした。前回の講座にて六十四卦はラストの水火既済と火水未済の二卦をのみ残して居た為、後半に一時間の空きが出来るので、その穴埋めとして年明けから準備を始めていたものの、分量が当初の想定を上回って重卦ならぬ超過してしまい、思い切って独立した回とすることにした(残りの一時間は序卦伝を読み直...
貞疾・恒ありて死せず
- 2023/02/13
- 18:01

「貞」字の原義が卜問であることは今では明らかであると言って良いが、卦爻辞は『易』の著者が書き上げたものではなく、古い卜辞や御神籤の類を素材として配列したもの(内藤湖南や其の系譜に連なる学者の立場)とすれば、素材の原著者が想定していた意味と、『周易』として纏めあげた、いわば配列者の理解とは同一でなかった可能性もあるという風なことを考えていた時期がかつてあったが、『易学研究』昭和41年6月号巻頭の「続々...
儒的な読卦
- 2023/02/10
- 18:11
本来卜筮のテキストであったものを儒家が経書として読み替えたのが『易経』で、以降二千年以上に渡り、儒家者流の注解が経文上に夥しく堆積して今に至る。しかし、単なる占いのテキストを倫理的道徳的に読むということには本来無理がある訳で、儒者の読み替えは中々巧妙に行われたとは言え、端々に綻びが生じて来るのは避けられず、二十世紀に入って疑古的な立場から原義を明らかにしようと試みる人が現れて来る。支那にあっては聞...
孔子伝
- 2023/02/07
- 18:38
オンライン講座の受講者氏より、易に云う“貞しさ”というのがよく判らないという主旨の御尋ねが何度かあった。「正しい」というのは一つの価値観であるが、言うまでもなく、それは決して絶対的なものでは有り得ない。人の数だけ正義があり、国の数だけ正義がある。人間が「正しさ」を主張して有史以来延々争いを続けて来た愚かな生き物であることも言を俟たない。要するに厄介なものであるということだ。『周易』を易“経”として経書...
『漢文法要説』を読む
- 2023/02/04
- 10:37
間違いが多々あると貶しておいて具体的な箇所を挙げないのは問題があるとの御声を頂いたので、『漢文法要説』中の気付いた箇所を列挙することにする。まずは、『漢文語法の基礎』同様、無害(?)な日本語に於ける助詞の不備から挙げるが、p60の「要する漢字の意味には伸縮がある」は「要するに」、p97の例文3の訳文に於ける「貨幣を統一とようとするならば」は「貨幣を統一しようとするならば」、p102の例文22の訳文中の「もしも...
テキストの校訂ということ
- 2023/02/01
- 18:39

如何に優れた校訂者を得たところで、書物から誤字や誤植を完全に無くすということには非常な困難を伴う。だから、論旨や結論を変更せざるを得なくなるが如き内容上の誤謬は兎も角として、誤字や誤植の類程度にはそう目くじらを立てるべきでもないのだが、それが教科書的な性格を持っている書物となると、少々事情が違って来るようだ。遥か遠い昔、まだ庵主が中学生だった時分、書店で購入した問題集(たしか学習塾が制作したという...