荻野元凱~楽しいイエマイル~
- 2018/02/18
- 08:48
紫織庵
新町三条南にあった荻野元凱の宅跡には、現在、京町家と長襦袢のミュージアム紫織庵が立っており、同庵は大正時代に建てられた歴史的建築ということで、京都市の文化財指定を受けている。
入口横に元凱について書かれた解説板が立っているが、木製の為、経年劣化で殆ど判読不能の状態。
『平安人物志』の文化十年版から天保九年版に至る四版では、代替わりして、嗣子・鳩峰(1772~1840)の名が出ており、嘉永五年版および最後の慶応三年版は、徳順なる者が同地で医業を行っていたことを記す。
元凱の居宅は、現紫織庵ばかりが医史跡として認知されているが、明和五年版には「両替町三条上ル」、安永四年版には「室町二条下ル」とあり、「新町三条南」は天明二年版に至ってようやく登場する。
元凱は宮仕えが長かったので、どうやら先の二つの住所は単なる居宅であり、晩年の「新町三条南」に至って初めて医院を開いたものらしい。
なお、室町二条下ル町を散策した折、すぐ傍に、神農を祀る薬祖神祠があるのに気付いた。
薬祖神祠(京都市中京区東玉屋町)
恐らく、元凱もたびたび参拝したものであろう等と夢想しながら中を覗き込むと、ナントそこに、いつも京大の研究会でご一緒している鍼灸家・猪飼祥夫先生の版画作品(神農)が奉納されているのを発見。
実は先生の神農版画は初めてお目にかかった四年前に頂戴したことがあり、庵主の手元にも一つあったりする。
荻野鳩峰墓
なお、立本寺にある荻野家の墓所に、嗣子・鳩峰の墓碑が現存しているのを確認することが出来たが、慶応三年版に出てくる荻野徳順についてはそれらしい墓碑を確認することは出来なかった。
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