金古景山~楽しいイエマイル~
- 2018/02/27
- 18:12
『天保医鑑』(『京都の医学史:資料編』より)
古方派に分類される医家のうち、最も謎に包まれた人物を一人挙げろと言われれば、私ならまず第一に古矢知白の名を挙げるだろう。
徹頭徹尾、易理を以て『傷寒論』を解した医家として知られ、その著述は、名著出版の近世漢方医学書集成にも収められているし、たにぐち書店からは『意釈正文傷寒論復聖弁』が現在も入手可能である。
写本を含めれば、『症因問答』『古方括要』『傷寒論正文復聖解』『傷寒論国字復聖弁』『正文傷寒論復聖弁』『復聖正文傷寒論』といった複数の著述の存在が知られているものの、剛斎と号した北総の人で、弘化三年(1846)の頃には生存していたらしいという位のことしか分からない。
これでは、内藤尚賢以上に謎が多いことになる。
『天保医鑑』には、知伯の門人として、金古景山と古田純卿の二人の名が見えている。
所在は、「油小路魚棚北」「油小路五条南」とあり、魚棚通は現在は無くなった名前であるが、現在の六条通と考えて大過ないので、魚棚北と五条南は同じ通りを差したものと見て良かろう。
ところで、古矢知白と金古景山は共に同一人物の筆名であろうとする説(小高修司「古矢知白と金古景山」)があり、たにぐち書店の意釈本の解説もこの観点から書かれているが、『天保医鑑』にはっきりと門人であると書かれているし、やはり両者は別と考えた方が良いのではなかろうか。
何年か前、千葉県の電話帳を引いてみて、古矢姓が数件あることを知った。
片っぱしから電話してみて空振りに終わったが、何か手掛かりが残されていないものかと今でも気になって図書館通いを続けている。
スポンサーサイト