大塚敬節先生記念碑~高知漢方史跡~
- 2019/03/04
- 18:05
昨年9月、六年ぶりに自らの意志で植物園に出向いたという風に書いたが、これは正確な書き方ではなかった。
私の目当ては植物園そのものにはなく、薬用植物区に建立された大塚敬節先生の記念碑にあったからで、目的物が植物園内にある為、そこに辿り着くには入園せざるを得なかったというのが正しい。
とすれば、はやり自らの意志で植物園に出向いたのは、後にも先にも一度きりということになる。
それは兎も角として、目当ての碑は、2000年に大塚先生の生誕百年と没後20年の節目を記念して建立されたもの。
10月8日に催された除幕式では、当時の橋本大二郎知事や県医師会々長、山田光胤先生らが参加されている。
牧野植物園内に建立されたのは多くの人の目に触れるという点では正解であるけれど、大塚先生ゆかりの土地という訳ではないから、本来ならば生家跡などに建てるべきものではあろう。
同時に建立された歌碑には大塚先生の有名な歌が刻まれている。
この歌は、中医学をやっているような日本漢方を敵視するスタンスの人には頗る評判が悪いらしいが、敵陣営からすれば、「理屈倒れのへっぽこ野郎どもめ」といったところだろうか。
入園時に渡されるパンフレットの園内地図に一応描かれているが、実際行ってみると此の地図では一寸判りにくいようにも感じた。
すんなり辿り着ければ良いのだが、石碑同士が少し離れていることもあり、方向感覚の悪い人は右往左往することになるかもしれない。
私の目当ては植物園そのものにはなく、薬用植物区に建立された大塚敬節先生の記念碑にあったからで、目的物が植物園内にある為、そこに辿り着くには入園せざるを得なかったというのが正しい。
とすれば、はやり自らの意志で植物園に出向いたのは、後にも先にも一度きりということになる。
それは兎も角として、目当ての碑は、2000年に大塚先生の生誕百年と没後20年の節目を記念して建立されたもの。
10月8日に催された除幕式では、当時の橋本大二郎知事や県医師会々長、山田光胤先生らが参加されている。
牧野植物園内に建立されたのは多くの人の目に触れるという点では正解であるけれど、大塚先生ゆかりの土地という訳ではないから、本来ならば生家跡などに建てるべきものではあろう。
同時に建立された歌碑には大塚先生の有名な歌が刻まれている。
この歌は、中医学をやっているような日本漢方を敵視するスタンスの人には頗る評判が悪いらしいが、敵陣営からすれば、「理屈倒れのへっぽこ野郎どもめ」といったところだろうか。
入園時に渡されるパンフレットの園内地図に一応描かれているが、実際行ってみると此の地図では一寸判りにくいようにも感じた。
すんなり辿り着ければ良いのだが、石碑同士が少し離れていることもあり、方向感覚の悪い人は右往左往することになるかもしれない。
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