鬯盦イエマイル
- 2019/03/14
- 18:02
漢学系のハカマイルで随分苦労したのは神田喜一郎である。
祖父香巌の髭塚がある玉林院に目星をつけてみたり、東本願寺の有力な檀徒であったらしいというので、大谷祖廟を3時間かけて隈なく歩いてもみたが、見つかったのは和田アキ子さんの建てた墓(あの和田アキ子さんかどうかは定かではない)くらいのものであった。
そんな折、わが蒼流庵随想の見知らぬ読者氏から、神田家が京都ブライトンホテルの西にある長徳寺の檀家であると教えて頂き、さっそく訪ねたのが一年ほど前のこと。
結果は、なんと墓は見つからなかった。
否、最初から墓は無かったのである。
どうも、浄土真宗の京都の檀家は全てとは言えないが、墓所を構えないことが多いらしく、遺骨は納骨堂に納めるのが普通であるらしい。
長徳寺も嗣子で明治大学名誉教授・神田信夫氏(1921~2003)が他界されて以降、神田家との関係は途絶えてしまったということである。
そこで、前々から最後の手段として取っておいたイエマイルを敢行することにした。
下鴨北園町の邸宅跡は、以前はストリートビューで古い木造建築を見ることが出来たが、昨年訪れた時には更地となって売りに出されていた。
道で老婦人を呼び止めて尋ねてみたところ、もう何年も買い手がつかないままになっているという。
ここに、かつて京都支那学が生んだ最高の知性の一人が起居していたことを知る人も今は少ないかもしれない。
なお、京都支那学の関係では、武内義雄、青木正児、本田済の墓所を長年調べているが一向に手がかりが掴めずにいる。
ご存知の方はご一報頂ければ幸いです。
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