『天を相手にする』井上文則著(国書刊行会/2018年刊)
昨年国書刊行会から出た『天を相手にする』が、庵主の如き市定フリークにとって堪らない書物であるのは言うまでもない。
私がそうであった様に、宮崎先生の著述を通して、中国ないし其の文化の一端を垣間見た、或は垣間見たような気になった読書人は少なくないと思う。
いや、それどころか、一般の読書人にこれほど受け入れられた此の分野の著述家は他に一人も居ないのではないか。
そして、此の世代の支那学(という表現が適切かどうかはさて置き)の学者で、評伝が出た人が他に居ただろうか。
江湖の読書人に支持されたという点では、畑は少し違えど吉川幸次郎先生なども同様であったろうが、宮崎先生より15年も早くに亡くなっているというのに、未だに評伝を書く人が現れていないのである。
其の師匠筋に当たる世代の諸先生でも、
内藤湖南先生を唯一の例外として、
狩野君山先生も
桑原隲蔵先生も伝記評伝の類は出ていないようだ。
伝記にならない位、京都の支那学者というのは面白味に欠ける人たちばかりであるのかどうか、私は知らない。
が、本書が読み物としても非常に面白く、必ずしも宮崎市定という学者に特別の関心を寄せる私のような者でなくとも、支那学に関心を持つ人ならば、誰もがそれなりに面白く読める書物であろうことは保障出来る。
本書は先生の生涯を丹念に調査して成ったものであるが、同時代より少し前の人間について調査するというのは簡単なようでいて大変に難しいということを、私は自身の経験から知っている。
著者は、私には全く初めて聞く名前であったが、古代ローマ史を専門とする若手の研究者であるらしい。
これだけの本を、幾ら傾倒している対象とはいえ、専門分野外で書いてしまう筆力には感銘を受けたので、一度、著者の他の述作も手にしてみたいと思っている。
なお、私は2015年の7月に宮崎先生の掃苔を行ったが、あとがきを読むと筆者も殆ど同じくらいの時期に掃苔されているらしいことを知った。
私は先生の甥の市郎氏に案内を乞い、墓所まで車で送って頂いたが、著者はいきなり現地入りして近隣住民に次々尋ね回って辿り着いたという。
そう簡単には辿り着けない、非常に判りにくい場所であるから、著者の探偵力も中々のものがあるようだ。
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