成道山法輪寺様のHPに水野南北関連の写真を提供させて頂きました。
- 2019/04/14
- 12:17
かつて水野南北の墓所があった浄土宗成道山法輪寺の北村隆彦住職よりご連絡があり、同寺のHPを制作したので、出世不動明王の解説に、拙ブログに掲載されている水野南北先生・生誕二百周年記念法要(昭和32年11月10日)の写真を使用したいとのことで、掲載許可を求められた。
断る理由など一つもなく、快諾させて頂いたが、もともと此の写真は徳風会の竹谷先生より提供して頂いたものである。
法輪寺では、法要時から二代の代替わりを経ていることもあって、当時の資料が殆ど残されていないらしく、以前も同寺作成の資料に写真を提供させて頂いたことがあった。
本当は、南北先生没後180年だった五年前に法要をお願いしたく思い、その時からご住職とのやり取りが始まったのだが、諸般の事情で実現せず仕舞であった。
200回忌には何か企画をと思わぬでもないが、15年後のことは私自身がどうなっているか判らない。
いずれにせよ、立派なHPに詳しい解説もなされているので、水野南北という不世出の相法家のことを世間に知って頂く入口が一つ出来たことを喜びたいと思う。
ところで、いつも迷いを生じるのは、出世不動明王はもともと南北の墓碑として建立されたもので、新御堂の建設に当たって法輪寺が立ち退きになった際、「南北先生墳」と刻まれた石柱のみ京都の金戒光明寺に移転し、不動尊は法輪寺と共に武庫之荘に移ったのであるが、墓所があるのを武庫之荘とすべきか、それとも金戒光明寺とすべきかという点だ。
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