趙奎慶先生
- 2019/04/19
- 18:10
左:粟島行春先生/右:趙奎慶先生
粟島行春先生(1926~2010)は、晩年まで中国各地の中医薬大を歴訪して討論会を開催し続けられた為、中医学の大家達と活発に交流(特に広州とは関わりが深かったようだ)されたが、かつて朴正煕大統領(1917~1979)の時代には韓国に渡って“土づくり運動”を展開された関係で、その活動の初期にはむしろ韓医の方々と深い繋がりがあったものらしい。
殊に、韓国随一の名人と称賛してやまなかったのが、上掲写真の趙奎慶という先生で、この人は附子を恐れず大量に使う為(その量、年間に600kgという)、「現代の吉益東洞」の如き人物という評であった。
面白いのは、この趙先生、医者は本業ではなく副業で、本職は孤児院の経営だったらしく、寄付では到底諸費用を賄えない為に医業で不足分を稼いでおられたという話。
自腹を切って何百人もの身寄りのない孤児を大学にあげたそうで、数十年に渡る活動は国連の顕彰するところとなったそうである。
粟島先生よりもだいぶ年長だったそうだから、既に存命ではないと思われるが、その後の消息など調べようにもハングルを一向に解せぬ身の上ゆえ、検索のしようもない。
どなたかご存知の方はご教示頂けますと幸いです。
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