農用気象学の祖・杉山善助翁
- 2019/05/16
- 18:44
農用気象学の祖・杉山善助
小林金吾翁の農用気象学には、杉山善助(1863~1944)という師が居て、小林翁は昭和2年の春より此の杉山師より農業指導を受け始めた。
甚だ占いめいた独特なる農法の内容に接した当初は、非科学的な古臭いものという感想を持ったらしいが、その天候予測があまりに的中するので、三年目から本格的に勉強を始めたという。
杉山師は茨城出身の篤農家で、五運六気による天候予測を元に播種や施肥の時期を見極める「天理応用農法」を提唱し、その組織するところの大日本農事改良会は、会員2万3000名を擁したというから凄い。
『麦作改良栽培法』(大日本農事改良会/1921)によれば、、従来の近代的農法に飽きたらず、明治40年より日本古来の農法や各老農らの著書に目を通す傍ら干支学を修め、これを基に天地陰陽の理に則った農法を探求、明治末期には天理応用の栽培に成功し、大正2年に初めて麦作改良の実地指導を行ったところ、在来農法の平均二倍以上の増収を見たという。
これを契機として大日本農事改良会を設立し、秋田を中心に東北一円で農業指導を行った。
この杉山式農法は当時相当勢いがあったものらしく、かの宮沢賢治(1896~1933)も興味を示したことが、「藤根禁酒会へ贈る」と題した以下の詩(1927.9.16)より窺われる。
わたくしは今日隣村の岩崎へ
杉山式の稲作法の秋の結果を見に行くために
ここを通ったものですが
杉山翁之碑(秋田県大仙市角間川町字愛宕44)
昭和6年には、その農業指導の功を讃える為、秋田県大仙市角間川町にある愛宕神社境内に「杉山翁之碑」が建立された。
杉山翁謝恩碑(山形市南館2-4-2)
昭和9年、南館の神明神社に杉山翁謝恩碑が建てられているが、先にご紹介した小林金吾翁胸像は、この謝恩碑と並び立つ位置に建てられている。
(『素問運気論と農用気象学』参照)
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