『周易釈故』真勢中州講説
- 2014/02/19
- 20:41
『漢籍國字解全書』(早稲田大学出版部刊)
『周易釈故』は、真勢中州の講説を門弟の松井羅州が修飾して記述したものとされており、歌丸光四郎先生は、
真勢には数種の著書があるが、その代表的傑作は『周易釈故』である。
これは易に関心のある人なら、一度は眼を通しておくべき書物である。
と激賞している。
歌丸先生の真勢易賛歌はかなり熱が入っていて、私などには付いていけない所があるけれど、本書がユニークで真勢易らしさが出た書物であると言えばそんな気もする。
しかし、そのユニークさ故に、私は本書を周易の学習者(従来の註解書が物足りなくなった上級者は別として)にお薦めするのは、いかがなものかと思う。
本書が、従来の註釈書と決定的に違っているのは、経文そのものに相当の改訂が加えられている点にある。
経文の辞を軽視する真勢流ならではのアプローチと言えるだろうか(真勢流では彖爻の辞は聖人が教えを垂れたものであり、占いの指示ではないという立場を取っているが、聖人の教えとすれば尚更勝手に改変することに抵抗があって然るべきだが)。
もっとも、合理的に解釈するための改訂であるから、無理が無く納得の行く改訂が少なくないようだ。
たとえば、公田連太郎先生(1874~1963)の名著『易経講話』では、風天小畜の彖伝の末尾の文、「密雲不雨。尚往也。自我西郊。施未行也。」について
私の考では「尚往也」と「施未行也」とが反對になつて、「密雲不雨。施未行也。自我西郊。尚往也。」とありたいと思ふ。さうすれば文の筋が一層よく通ると思ふけれども、さういふ説を立てた人は古人に見當らず、此ままでも分らぬことは無いので、此ままで讀んで置く。
としているが、驚くなかれ、『周易釈故』には公田先生の説と同じ順序で改訂が施してある。
公田先生ほどの碩学が、『周易釈故』を知らないはずはないのだが、根本通明先生の系譜であり、占筮より義理を重んじる学風であるから、“古人”から実占家は意図的に外されたのだろうか。
怠惰な蒼流庵主人は、『周易釈故』と通行本を逐一付き合わせるということをしていないが、それもまた、易経を面白い角度から見ることが出来て良い勉強になるかもしれない。
『周易釈故』は、早稲田大学出版部から明治の末年に『漢籍國字解全書』の三巻四巻に収められて復刻されている。
大正年間にも数回刷られ、終戦の少し前には函入りの版も出ており、古本屋で時折見かけるから、入手はそんなに難しくない。
ただし、昭和の版は戦局の悪化を受けて紙質が良くないようで、私は大正の版が良いように思う。
嬉しいことに、早稲田版には、『周易釈故』だけでなく、谷川龍山の『易学階梯附言』『周易本筮指南』、榊原篁洲の『易学啓蒙』も収載されていて、お得感も中々である。
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