『漢方学術交流訪中団中国訪問記』粟島行春著
- 2019/06/08
- 13:13
『漢方学術交流訪中団中国訪問記』粟島行春著
粟島行春先生は、1970年代の早い時期から中国に渡って各地の中医学の拠点を歴訪、討論会などを催して活発な学術交流を行っておられたが、帰国すると手書きの訪問記を執筆しては参加者に配布しておられた。
何年か前、昭和54年に井藤漢方製薬の後援で行われた訪中記録を製本したものを古書店で入手したが、40年前の中国の伝統医療事情の肉声が聞こえてくるようで、斜め読みするだけでも中々面白い。
11月5日から13日まで9日間の行程で、伊丹空港から台湾を経て、香港、広州、杭州、上海と巡り、帰りはどういう訳か長崎空港から帰国している。
参加者は総勢27名で、漢方薬局の経営者や製薬会社の経営陣が中心のようだ。
世の中には研修と称した単なる観光目的の旅行が随分多いらしいが、さすがに粟島訪中団は内容があって、観察の鋭さにも関心させられるところが多い。
今となっては当たり前のような事も新鮮な驚きをもって報告されているが、40年前と言えば、日本への中医学の紹介が始まったばかりであるから、参加者諸氏にとって日本漢方と大陸の医学との違いは驚きの連続であったろう。
中成薬工場を訪問しては一両を50gで計算している事に驚きつつも、日本とは比較にならない機械設備の貧弱さに近代化の遅れを見、かと思えば上海の国鉄職員慢性病療養所では使用されている生薬の質が大変良く、甕に詰め藁で作った蓋をして生薬保存にも気を配っているなど、日本より優れた点が少なからず見られる事が報告されている。
また、日本のように医者が偉そうにしていない点は各地共通だったようだ。
竹製の吸い玉治療では、コップ状の竹を薬草で煮込んで熱い内に皮膚に吸い付かせ、薬草の蒸気を皮膚に当てるという日本とは違ったやり方があることを紹介している。
ノダケは大阪でも南河内辺りで目にするが、ノダケよりヒメノダケの方が大きいのは、奇妙な感じがする。
ところで、この訪問記、200頁を超えているのだが、粟島先生は訪中の度にこのような大部の報告記を書かれていて、報告記だけでも相当な量が書棚に収められていたのをよく覚えている。
また、先生は10代の頃、熊崎健翁を驚嘆させた事があるという異能の記憶力の持ち主で、訪中から一か月ほど経っていても、殆ど何も見ずに執筆出来るという話を聞いたことがある。
50年前に友人が食べた鷄の値段まで覚えていたという井伏鱒二と比べればどうという事はないかもしれぬが、この記憶力が中国的な学問をする上で非常に有利だった事は間違いないと思う。
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