永富独嘯庵を求めて①
- 2019/07/25
- 20:44
木山芳朋著『独嘯庵』の記述を手掛かりに、義士坂にあるという独嘯庵の生家・勝原家の墓所を探索して二度惨敗を喫したのは2016年のことであったが、帰阪後、SNS上で独嘯庵について発信している日高栄美子女史のことを知り、早速コンタクトを試みたところ、これが契機となって、女史の全面的な協力を得ることになった。
日高女史は、地元の郷土史研究グループの一員で、たまたま木山氏の実家で墓所の墓守をしていた新田家と関わりがあった事から、今では知る人の殆どない勝原家墓所の所在を御存じで、案内を乞い、翌秋に現地入りしてようやく勝原家の墓所に辿り着くことが出来た。
三度目の正直とはまさに此のことだ。
日高女史の教示と突き合わせると義士坂の位置情報についての木山本の記述には不正確なところがあり、其の為に二度の調査が不発に終わっていたことが判明した。
迷惑な話だ。
実際の場所は、わずか一尺ほどの幅の山道を入ってかなり進んだ先にあり、夏場はマムシだらけで、地元民ですら恐れて近づかないような所だという。
また、顕彰碑の竿石の根元付近に「勝原邸址」と刻まれた表札状の石標が貼り付けてあったので、てっきり顕彰碑は生家跡に建てられているものとばかり思い込んでいたが、生家跡の現住人の理解を得られなかった為に、仕方なく顕彰碑に貼り付けたというのが真相らしい。
日高女史は、地元の郷土史研究グループの一員で、たまたま木山氏の実家で墓所の墓守をしていた新田家と関わりがあった事から、今では知る人の殆どない勝原家墓所の所在を御存じで、案内を乞い、翌秋に現地入りしてようやく勝原家の墓所に辿り着くことが出来た。
三度目の正直とはまさに此のことだ。
日高女史の教示と突き合わせると義士坂の位置情報についての木山本の記述には不正確なところがあり、其の為に二度の調査が不発に終わっていたことが判明した。
迷惑な話だ。
実際の場所は、わずか一尺ほどの幅の山道を入ってかなり進んだ先にあり、夏場はマムシだらけで、地元民ですら恐れて近づかないような所だという。
また、顕彰碑の竿石の根元付近に「勝原邸址」と刻まれた表札状の石標が貼り付けてあったので、てっきり顕彰碑は生家跡に建てられているものとばかり思い込んでいたが、生家跡の現住人の理解を得られなかった為に、仕方なく顕彰碑に貼り付けたというのが真相らしい。
義士坂への入り口
こんなんわからんぜよ!
義士坂の勝原家墓所には九基の墓碑が並んでおり、木山本に詳細な解説がある。
独嘯庵の両親の墓碑
素材の花崗岩は生家の富裕を物語る。
旧勝原邸跡には其の後小学校が建ったが、それも廃校になって久しいようだ。
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