木村敬二郎を探して~完結篇~
- 2019/08/10
- 14:10
2016年の年の瀬に、『大阪訪碑録』の著者・木村敬二郎について調べた結果を木村敬二郎を探してと題して三回に亘って連載した。
この木村敬二郎が初めて手掛けた掃苔は、『大阪訪碑録』の自序によると、どうやら永富独嘯庵であったものらしい。
特別医学に関心があったという訳ではなさそうだし、掃苔を始めた明治の終わり頃に住んでいた道修町から墓所のある蔵鷺庵が近いという訳でもないのだが、よく考えてみると、独嘯庵が医業を行った高麗橋南備後街第五街は道修町の目と鼻の先に位置しているし、敬二郎の師であった藤沢南岳の父・東畡は、一応儒者ではあるものの、長崎に遊学した経験があり(独嘯庵は蘭学の先駆でもある)、また、『傷寒論』『金匱要略』の注を書いた中山城山から学んでいて、此の城山は幼時から徂徠学を学んでいる(独嘯庵は徂徠の古文辞学の本流に居た)。
こういった学統に連なるのが敬二郎で、其の初めて手を付けた掃苔が、独嘯庵の墓碑であったらしいというのは、つくづく不思議なる因縁を見る思いがする。
ところで、芦屋に住んでいた銀行家の木村伊太郎氏が敬二郎の甥にあたるのではないかという所まで突き止めて敬二郎の調査は暫く暗礁に乗り上げたままであったのだが、昨年5月に遂に木村家とコンタクトを取る事に成功し、その謎多き生涯の全貌をほぼ明らかにする事が出来た。
庵主の推測は殆ど当たっており、銀行家の伊太郎はやはり敬二郎の甥に当たるそうで、敬二郎の長女は早世したが、次女が同じように婿養子を迎えた為、木村分家は現在も存続しており、孫に当たる方が数人ご存命とのことであった。
其の一人・木村元三氏(1922~)の、「学ぶことの楽しさを教えてくれた知の恩人たちのこと」と題したインタビュー記事が、『大阪人』という雑誌に載っており、敬二郎についての回想や唯一現存する敬二郎の写真も掲載されていると教えられ、早速、調べたところ、地元の図書館に所蔵されていることが判り、すぐに閲覧複写して来た。
『大阪人』2007年7月号より
遺影を一瞥して、『大阪訪碑録』の解題に、「翁は齢古稀に近く、耳稍遠しと雖も、猶ほ矍鑠として壮者を凌ぐ」とあるのがよく判るような気がした。
元三氏の記事によると、本家は「菱屋」、分家は「百楽」という名で造り酒屋を営み、道修町は住居だけで、実際の酒造りは天満で行っていたらしい。
といっても、敬二郎は絵に描いたような高等遊民で、家業は番頭に任せて、かなり好き放題(其の中心が30年に及ぶ掃苔であったことは言うまでもない)をやっていたらしく、大阪の文人仲間で道楽宗というものを作り、それぞれに○○山、○○寺といった山号、寺号をつけ、今橋築地にあった多景色楼という旅館に集まって会食しながら趣味の話をしたり、碁を打ったりしていたそうだ。
元三氏は幼少時、祖父の掃苔に同行して墓拓を採る手伝いをさせられたそうだが、実は此の元三氏、後に拓本採りの名人となって、梵鐘の銘文や青銅器を手拓、大阪市立美術館や東洋陶磁美術館、和泉市久保惣記念美術館、白鶴美術館、寧楽美術館などに手がけた拓本が収蔵されており、また昭和31年には阪神間の中国古典愛好者が集まり、漢字学の白川静氏を招いて古代中国の青銅器に鋳込まれた文字を研究する会「撲社」を発足、四半世紀にわたって活動を続けて来たということである。
これは間違いなく、幼少時に敬二郎から受けた影響の多大であることを物語るものであろう。
なお、敬二郎は昭和11年1月2日に直腸癌が原因で死去し、墓所は『大阪訪碑録』でも三基の墓碑を紹介している天満の某寺に、本家と隣り合わせの位置に並んでいる。
昭和11年というのは、庵主が予想した没年よりやや後であるが、実は昭和8年以降の『日本紳士録』にも、敬二郎は記載されていて、業種が酒造業から家主へと変わり、住所も眞法院から阪南になっていたので、庵主は同名異人と思い込まされたのである。
なんでも、世相が段々きな臭くなり、打ち壊しのような事件が起こるようになって来た為、危険を感じた敬二郎は、酒造業を廃業し、家主として家賃収入を主な収入源とするようになったのだという。
縁者の方より電話を頂いた翌日、庵主は早速墓所を訪ねて敬二郎の墓前にかしづき、郷土大阪が生んだ最高の掃苔家に、『大阪訪碑録』を座右の書としながら掃苔の日々を重ねたことを報告し、そして同書から受けた間接の学恩を謝した。
掃苔家に限らず、大阪の諸文化を研究する人は、多く此の敬二郎著わす所の『大阪訪碑録』より恩恵を蒙っている。
80年を経ても価値を失わない、そういう仕事を自分もしてみたいものだ。
『東邦医学』昭和16年9月号より、浅田流の漢方家で医史学の大家でもあった安西安周(1889~1969)が「京阪名医掃苔記」と題した連載を始めているのだが、その第一回の冒頭で『大阪訪碑録』を激賞している。
スポンサーサイト