鈴木文台~新潟易儒墓参録~
- 2019/08/22
- 18:20
鈴木文台墓(長楽寺/新潟県燕市粟生津136)
新潟は上越にある這蔦亭に阿波古流の茶人・関沢春人先生を訪ねた帰り、燕市に足を延ばして、易儒・鈴木文台(1797~1870)の掃苔を行ったのは、猛暑が押し寄せる直前、昨年六月の事であった。
文台は、寛政八年に医師・鈴木見義の次男として生まれ、名を弘、字を子毅、通称を陳蔵といい、文台・石舟と号した。
後藤託玩・太田芝山に学び、江戸に出るも病のため帰郷して私塾・長善館を開いて教授。
嘉永四年(1851)、長岡藩主・牧野忠恭(1824~1878)に謁して書と銀を賜る。
易書に、
『周易卦象解』
がある。
天保四年(1833)に創設された長善館は、鈴木惕軒(1836~1896)、鈴木柿園(1861~1887)、鈴木彦嶽(1868~1919)と代々受け継がれ、明治45年(1912)に閉館するまでの凡そ80年、ここに学んだ門人は1000名を越えて幾多の人材を輩出、長谷川鉄之進(1822~1871)、長谷川泰(1842~1912)、大竹貫一(1860~1944)、桂湖村(1868~1938)、小柳司気太(1870~1940)らも長善館に学んだ。
長楽寺から日枝神社を挟んだ北側のかつて長善館があった跡地には、現在資料館および昭和35年に建てられた長善館址碑を見る事が出来る。
左から、二代目・惕軒(1836~1896)、三代目・柿園(1861~1887)、四代目・彦嶽(1868~1919)の墓碑。
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