伴信友~福井易儒墓参録~
- 2019/09/01
- 10:21
伴信友墓(発心寺/福井県小浜市伏原45-3)
伴信友(1773~1846)は、安永二年に若狭小浜藩士・山岸惟智の四男として生まれ、名は信友、幼名は惟徳、通称を鋭・鋭五郎・州五郎といい、特・事負と号した。
天明六年(1786)、江戸詰の小浜藩士・伴信当の養子となり、江戸へ出て御広間面番役等を勤める。
文化三年(1806)、家督を嗣ぎ、藩主・酒井忠進(1770~1828)に従って、江戸・小浜・京都に在勤した。
文政四年(1821)、致仕。
崎門学を修め、のち本居宣長らの諸書を手写・講読、宣長没後の門人として本居太平(宣長の養子/1756~1833)に従学して、国学に開眼した。
隠居後、二十五年間、学問に専念。
古典や歴史の研究・考証などに多くの論考を残した。
易書に、
『易考説』
『易占考』
『易占問答』
『周易私論』
などがあるが、伴信友の著述のうち、術数関係で最も有名なものは亀卜についての最重要文献の一つである『正卜考』であろう。
伴信友翁之碑
墓所の近くには、明治35年に建てられた顕彰碑がある。
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