播州赤穂の易学
- 2014/02/23
- 13:57
谷川龍山は播州の生まれであるが、播州から赤穂にかけては昔から易学が盛んだったらしく、この地域に関わりのある易儒が意外に多いのに驚かされる。
蒼流庵主人が探墓に成功した易儒は現時点で87人にのぼるが(墓碑を確認した数で、実際に探墓したのは其の倍はあろうか)、その内、7人が播州赤穂に何らかの関わりを持っている。
出身→赤松滄洲・岡白駒・奥田拙古・穂積以貫・三宅尚斉
祖先が出身者→河野恕斎(岡白駒の子)
姫路の学問所・仁寿山黌で教授→提佗山・猪飼敬所
江戸、京都、大阪という学問の盛んな地域を除外すれば、播州赤穂は地域的に見て易学の盛んな土地だったように感じられる。
ここでは数に含めなかったが、懐徳堂の二代目学主・中井甃庵の父・玄端は播磨国竜野藩の人であり、赤松滄洲と同じく赤穂の興福寺に墓がある。
生来の怠惰の為、これ以上は調べていないが、郷土史家が取り組まれると面白いテーマかもしれない。
また、易学とはさしたる関わりが無いが、懐徳堂出身の山片蟠桃(1748~1821)は、播磨国印南郡神爪村(現兵庫県高砂市)の生まれであり、同じく富永仲基(1715~1746)は生まれは大阪であるものの、その著『翁の文』の序文などから考えて、先祖は播州から出たのではないかと考えられている。
なかなか興味の尽きない地域である。
蒼流庵主人が探墓に成功した易儒は現時点で87人にのぼるが(墓碑を確認した数で、実際に探墓したのは其の倍はあろうか)、その内、7人が播州赤穂に何らかの関わりを持っている。
出身→赤松滄洲・岡白駒・奥田拙古・穂積以貫・三宅尚斉
祖先が出身者→河野恕斎(岡白駒の子)
姫路の学問所・仁寿山黌で教授→提佗山・猪飼敬所
江戸、京都、大阪という学問の盛んな地域を除外すれば、播州赤穂は地域的に見て易学の盛んな土地だったように感じられる。
ここでは数に含めなかったが、懐徳堂の二代目学主・中井甃庵の父・玄端は播磨国竜野藩の人であり、赤松滄洲と同じく赤穂の興福寺に墓がある。
生来の怠惰の為、これ以上は調べていないが、郷土史家が取り組まれると面白いテーマかもしれない。
また、易学とはさしたる関わりが無いが、懐徳堂出身の山片蟠桃(1748~1821)は、播磨国印南郡神爪村(現兵庫県高砂市)の生まれであり、同じく富永仲基(1715~1746)は生まれは大阪であるものの、その著『翁の文』の序文などから考えて、先祖は播州から出たのではないかと考えられている。
なかなか興味の尽きない地域である。
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