坂根健さんのこと
- 2019/11/20
- 19:29
在りし日の坂根さん(2013年6月25日/高槻市某所にて)
二週間ほど前に届いた一通の葉書で、生薬探偵にとって冬虫夏草の師に当たる坂根健さんの訃報を知らされた。
本年6月のことで享年75歳だったという。
ご遺族とは一面識もなく、ご自宅のお電話番号も存じ上げなかった為、昨日、アポなし訪問ならぬアポなし弔問をすることになった。
丁度奥方がご在宅だったのだが、お出かけになる寸前の事で、あと一分遅ければ入れ違いになるような絶妙極まりないタイミングだったらしい。
最初、勤め人時代の同僚かと思われたそうだが、健さんが書かれた論文を読んで手紙をお送りして何度か観察に同行させてもらった者であることを告げると、奥方すぐに合点がいったらしく、その時健さんは「自分のような者に案内を乞う手紙をくれる人が居る」とそれは大層喜んでおられたとのことである。
あれはもう6年以上前のことであるが、当時、生薬探偵稼業を初めて着々と成果をあげていた比較的初期の頃、冬虫夏草に俄然興味が出てきて(恐らくは茯苓の自力採取に成功した事に気をよくして、それまでさしたる関心の無かったキノコ類にも食指を伸ばそうとしたのだと思う)、色々情報収集する中で、坂根さんが伴さやか先生と共著で出された論文が目に留まり、教授を願う事実上の入門請願の手紙を出したのが坂根さんとの交流のきっかけであった。
四度観察に同行させて頂いて合計17種の冬虫夏草を採集させてもらい、昨年六月後半に4回に渡って連載した冬虫夏草を求めては其の時の記録である。
坂根さんが本格的に冬虫夏草に取り組まれるようになったのは定年退職後の事らしいが、驚くべき事に発見した80種を超える冬虫夏草の中には、4種の新種が含まれており、其のうち2種はチベットのマジもん冬虫夏草(いわゆるシネンシス)の近縁種である事が判明している。
定年退職後のアマチュア趣味としては稀にみる快挙であるが、ご本人もこれには随分誇らしく思うところがあられたようだ。
恐らく目下世界一の冬虫夏草本である奥澤先生の冬虫夏草の文化誌(第25回矢数医史学賞受賞)にも標本提供において多大な貢献をされており、口絵の関係者集合写真にも坂根さんが大きく写っておられる。
しかし、それだけの成果を挙げられても、自分はあくまでもアマチュアだとして、お呼びする時に“先生”の二字を名前にくっつけられるのをひどく嫌われたのが朴訥な坂根さんらしかった。
かなりの釣りキチでもあったらしく、そちらの方面では坂根さんを師と仰ぐ人が少なからず居たそうだが、冬虫夏草に関しては独り蒼流庵主人だけが弟子と呼べる存在であったようで(もっとも坂根さんはあくまでも庵主を同学の士として扱われ、先輩風を吹かすような事はただの一度もなさらなかったのだが)、生意気にも「大阪南部で冬虫夏草のフィールドを開拓します」と宣言はしたものの、結局2~3度近所の雑木林を徘徊した程度で一つの成果も挙げられなかったのは、まさに不肖の弟子を地で行くようで、今になって猶更申し訳なく思う。
本来口だけ番長のような手合いは庵主の最も軽蔑するところの人種であるのだが、こと冬虫夏草に関してだけは自分がそちら側に回ってしまい、まさに汗顔の至りである。
ただ、今回の弔問でもあわやご遺族と行き違いになるところ、奇跡的なタイミングで訪問することが出来たのは、もう何年も無沙汰を重ね続けた自分のような不肖の弟子の事さえ、未だに気にかけて導いてくださったような気がして、坂根家を辞してからも暫らく不思議な余韻が続いていた。
謹んでご冥福をお祈りします。
合掌
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