遣唐使進発の地碑~医史跡番外編~
- 2019/11/23
- 21:13
遣唐使進発の地碑(住吉大社西大鳥居前)
縁あって月に一度は、大阪の住吉大社に参拝させて頂いているのだが、年明け暫らくして参拝した際、西の大鳥居前に、えらく立派な石碑が建立されているのが目にとまった。
平成三十年十二月に堺市の田中孝司という人が奉納したものであるという。
これほど巨大な石碑を個人建立とは、どんな富裕層なのだろうかと思ったが、それよりも、恥ずかしながら、私はここが遣唐使船の船出の地であったという事を全く知らなかったのだから情けない。
当時外交・留学を目的として支那へ旅立った人々は、難波ノ津(現在の大阪市中央区付近に位置していたと考えられているが正確な場所は不明という)から出立したのだが、実際には住吉大社で住吉大神に祈りを捧げた後、住吉津(住之江津)から出発して、難波津を経由し、瀬戸内海を西へ航行したもので、この住吉津こそが、まさに遣唐使進発の地であったのだという。
つまり、丹波康頼編するところの『医心方』に引かれたような隋唐の医学というのも、この住吉津から旅立った人々により我が国に齎されたものであった訳で、それは易学を含む種々の儒学もまた同様であったに違いない。
そのような目を持って此の石碑の前に立つ時、これまで幾度となくくぐった大鳥居もまた違った感慨を以て胸に迫って来るところがある。
ごく新しいものではあるが、これを医史跡番外編の一つとして、ここに記して読者諸賢に知らしめんとする次第。
遣唐使進発の地碑裏面
住吉大社の大鳥居前の道路(ちんちん電車が走っている)を挟んでちょうど真向かいに、占い押しの奇妙な漢方薬局(?)があって異様な存在感を放っている。
レパートリーもかなり豊富で、さながら占いの館然としている。
料金設定は良心的なようだ。
ただ、鑑定を乞う迷える衆生が入店する瞬間に居合わせた事はただの一度もない。
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