三が日は、過去の年筮中、最悪の得卦と言って過言ではない水山蹇および雷水解の二卦と睨めっこしつつ憂鬱に過ごした。
殊に気にかかったのは、卦辞に見える「西南に利しく、東北に利しからず」で、今年は久しぶりに岩手にでも行ってやろうと思っていたものの、東北は危ないゾ、いや、大阪から見ての東北というなら上京も控えるべきだろうか、それとも此の辞は通常、西南は坤卦、東北は艮卦を指すと解し、艮山の険阻艱難よりも坤地の平坦安全なる道を進め、の意に取るが、山登りを控えろと言っているのか、そうすると、金匱植物同好会も山はやめて河川敷あたりで開催すべきかしら等、色々な思いが錯綜去来するのである。
“潔静精微は易の教なり”と『礼記』経解篇にあり、孔子は、『易経』は精神を鎮め、思考を精密にさせると云うのだが、年筮一つにここまで心を乱されるのは、我が手元の『易経講話抄』が未だ韋編三絶に程遠いコンディションを保っているが故なのであろうか。
いや、しかし此の『礼記』のハッタリめいた記述を孔子の言葉と真に受けるにせよ、恐らくは熱心に易を読み出したという五十以降の発言であって、そもそも彼の五十は既に不惑の歳から十年も過ぎて天命を知ったと豪語する齢であり、しかも孔子という人類史上屈指の賢人の言である事を思えば、私を含めて易読みの殆ど全てといって過言ではない凡俗諸氏方々には、所詮は到底達し得ぬ境地であるのかもしれない。
ところで、今年の年筮の御陰で、私は『易経』に於ける方位というものに考えを巡らせる機会を持つ事が出来たが、これは思わぬ収穫であった。
翼伝の類は除いて、経文に於ける彖爻の辞には、次のような方位が出て来る。
まず卦辞では、坤為地の「利西南得朋、東北喪朋」、風天小畜の「自我西郊」、水山蹇の「利西南、不利東北」、雷水解の「利西南」、地風升の「南征吉」があり、続いて爻辞では、沢雷随上六の「王用亨于西山」、地火明夷九三の「明夷于南狩」、雷山小過六五の「自我西郊」、水火既済六五の「東鄰殺牛、不如西鄰之禴祭」で、何らかの方位を述べるものが合計九卦ある。
四正方位では、西4・南2・東1で北は出て来ず、四隅方位では、西南3・東北2で北西と南東は出てこない。
西ないし西を含むものが圧倒的に多いが、易の西方騎馬民族来源説と鑑みて、中々に面白いところがある。
ところで、私は、生まれた年月日によって、生まれてから死ぬまであらゆる日の吉方位や凶方位が定められているという方位系の命占は俄かには信じる事が出来ず、むしろ其の時々で八面賽でも転がして決める方がまだしもと思っているクチなのだが、試みに一擲してみたところ、今年の吉方位は北、凶方位は西南であった。
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