「繋辞伝」を読む
- 2020/01/10
- 18:20
この数年、占断の際に卦爻の辞を確認する程度で、『易』の経文を通しで読むという事を怠っていた為、昨年は久しぶりに『易』をじっくり読み直そうと思い立ち、私なりに真剣に取り組んでみた年だったのだが、特に普段触れる回数の少ない翼伝を繰り返し読む機会を持つ事が出来たのは意義深かったように思う。
私が特に注意して読み返したのは「繋辞伝」であり、易の根本思想を説き、易の総論という側面を持つ此の翼伝は、『荘子』天下篇に「易は以て陰陽をいう」とあるが如き、易は陰陽思想なりとする其の後の認識の根拠となった部分であって、翼伝中とりわけ重要なものであると言える。
かつては武内義雄博士が考察した如く、儒家の中庸思想を以て説く彖伝象伝を翼伝中の古い部分と見做し、繋辞伝をより成立の遅れるものと捉える説が一般的であったが、馬王堆漢墓からの出土資料『帛書周易』には、現行の翼伝と一致するものが「繋辞伝」しかなく、その内包する思想も再検討された結果、むしろ「繋辞伝」を現行翼伝のうち古い部分に属するものとする見方が今では勢力を得ているようだ。
狩野直喜は、易を読むと頭が悪くなるとして若い頃はたいへん冷淡な態度を取ったというが、孔子に従い五十にして『易』を読み、七十にして大変好んだといい、殊に「繋辞伝」に強い関心を持たれたと聞く。
ところが、庵主は長らく此の「繋辞伝」が余り好きではなかった。
否、嫌っていたと言っても良い。
ハッタリ同然の虚仮威しを連呼するところ等は、仏典の如き厭らしさだけが鼻につく中身の空虚さを感じさせられるし、第一、虚仮威しの部分はいくら註解と睨めっこしても、さっぱり頭に入ってくれぬからだ。
しかし、久しぶりに読んでみると、思っていた程には「繋辞伝」も悪くない。
もっとも、嫌いな部分についての感想は何度読み返したところで、さしたる変更を被る事はなかったのだが、具体的な卦の解釈においては、現代の我々が占断に用いる事のないような観卦が随所に散見され、それが反って新鮮に迫ってくるのである。
牛を服し馬に乗り、重きを引き遠きを致し、以て天下を利するのが沢雷随であるとか、雷天大壮を風雨を待つ棟宇とする観方とか、割符の類らしきものと絡めて沢天夬を説くものなど、観卦法が占的によって縦横無尽に変化せねばならぬのは当然としても、古昔における易の観方の一端を垣間見たようで興味深い。
私が特に注意して読み返したのは「繋辞伝」であり、易の根本思想を説き、易の総論という側面を持つ此の翼伝は、『荘子』天下篇に「易は以て陰陽をいう」とあるが如き、易は陰陽思想なりとする其の後の認識の根拠となった部分であって、翼伝中とりわけ重要なものであると言える。
かつては武内義雄博士が考察した如く、儒家の中庸思想を以て説く彖伝象伝を翼伝中の古い部分と見做し、繋辞伝をより成立の遅れるものと捉える説が一般的であったが、馬王堆漢墓からの出土資料『帛書周易』には、現行の翼伝と一致するものが「繋辞伝」しかなく、その内包する思想も再検討された結果、むしろ「繋辞伝」を現行翼伝のうち古い部分に属するものとする見方が今では勢力を得ているようだ。
狩野直喜は、易を読むと頭が悪くなるとして若い頃はたいへん冷淡な態度を取ったというが、孔子に従い五十にして『易』を読み、七十にして大変好んだといい、殊に「繋辞伝」に強い関心を持たれたと聞く。
ところが、庵主は長らく此の「繋辞伝」が余り好きではなかった。
否、嫌っていたと言っても良い。
ハッタリ同然の虚仮威しを連呼するところ等は、仏典の如き厭らしさだけが鼻につく中身の空虚さを感じさせられるし、第一、虚仮威しの部分はいくら註解と睨めっこしても、さっぱり頭に入ってくれぬからだ。
しかし、久しぶりに読んでみると、思っていた程には「繋辞伝」も悪くない。
もっとも、嫌いな部分についての感想は何度読み返したところで、さしたる変更を被る事はなかったのだが、具体的な卦の解釈においては、現代の我々が占断に用いる事のないような観卦が随所に散見され、それが反って新鮮に迫ってくるのである。
牛を服し馬に乗り、重きを引き遠きを致し、以て天下を利するのが沢雷随であるとか、雷天大壮を風雨を待つ棟宇とする観方とか、割符の類らしきものと絡めて沢天夬を説くものなど、観卦法が占的によって縦横無尽に変化せねばならぬのは当然としても、古昔における易の観方の一端を垣間見たようで興味深い。
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