浄春寺徘徊録
- 2014/02/24
- 20:57
かつて真勢流の保科嘉一郎の墓があった浄春寺は、四天王寺の北西間近の場所にあり、大阪のハカマイラーには知る人ぞ知るスポットである。
京都の墓地に慣らされてしまった私のような手合いには、さして広くは感じられない墓域だが、大阪ではかなり広い方らしい。
浄春寺の一番の目玉は、田能村竹田(1777~1835)だろう。
竹田は南画の大家で、現在、約30点の作品が重要文化財に指定されている。
江戸時代にはあまりの人気から贋作が多く出回った。
なんでも鑑定団にも頻繁に登場するが、依頼品のほとんどは二束三文の偽物である。
竹田は、岡藩(現在の大分県の一部)の儒医・田能村碩庵の次男であるが、この碩も山地剥上爻の辞由来のものだろう。
大坂に出て来てからは、易学に造詣の深かった木村蒹葭堂(1736~1802)と交流し、『周易拾象稿』などの著述がある村瀬栲亭に入門するなど、易学の香りをプンプンさせているのが面白い。
竹田は、6歳で素読を始め、11歳で岡藩の藩校「由学館」に入学しており、成績は極めて優秀だったというから、漢学にかなり強かったようだ。
『月のえくぼを見た男-麻田剛立-』(鹿毛敏夫著)が、2009年の中学生の課題図書に選ばれてから、人気が急上昇している麻田剛立(1734~1799)は、日本最古の月面観測図を記した天文学者で、月のクレーターである「アサダ」は、麻田剛立の名に由来する。
面白いことに、竹田と同じ豊後国の出身であり、保科嘉一郎と同じく、懐徳堂に深い関わりを持ち、中井竹山(1730~1804)、中井履軒(1732~1817)らと交流し、山片蟠桃(1748~1821)の師でもある。
『傷寒論』にも通じていたらしく、漢方家にも気になる存在だ。
漢方といえば、浄春寺には、古方派の泰斗・吉益東洞(1702-1773)の曾孫・吉益恬庵(1820~1846)の顕彰碑がある。
ただし、10年ほど前に剥落して現在はズルムケ状態だ。
吉益南涯(1750~1813)の腹違いの弟である吉益嬴斎(1767~1816)や、其の子・吉益樗斎(??~1854)の墓もあったらしいが、現存はしていないようである。
各務文献(1755~1819)は、江戸後期の整骨医で、我が国近代整形外科の先駆者の一人とされている。
日本医史学会・大阪府医師会・日本柔道整復師会が共同で建立した立派な顕彰碑もあり、手技療法家の方などお参りしてみるのも善かろう。
同寺には、蘭医の大矢尚斎や眼科医の三井棗州などの墓があり、地味ながらもハカマイラーの心の琴線に触れるスポットである。
京都の墓地に慣らされてしまった私のような手合いには、さして広くは感じられない墓域だが、大阪ではかなり広い方らしい。
浄春寺の一番の目玉は、田能村竹田(1777~1835)だろう。
竹田は南画の大家で、現在、約30点の作品が重要文化財に指定されている。
江戸時代にはあまりの人気から贋作が多く出回った。
なんでも鑑定団にも頻繁に登場するが、依頼品のほとんどは二束三文の偽物である。
竹田は、岡藩(現在の大分県の一部)の儒医・田能村碩庵の次男であるが、この碩も山地剥上爻の辞由来のものだろう。
大坂に出て来てからは、易学に造詣の深かった木村蒹葭堂(1736~1802)と交流し、『周易拾象稿』などの著述がある村瀬栲亭に入門するなど、易学の香りをプンプンさせているのが面白い。
竹田は、6歳で素読を始め、11歳で岡藩の藩校「由学館」に入学しており、成績は極めて優秀だったというから、漢学にかなり強かったようだ。
『月のえくぼを見た男-麻田剛立-』(鹿毛敏夫著)が、2009年の中学生の課題図書に選ばれてから、人気が急上昇している麻田剛立(1734~1799)は、日本最古の月面観測図を記した天文学者で、月のクレーターである「アサダ」は、麻田剛立の名に由来する。
面白いことに、竹田と同じ豊後国の出身であり、保科嘉一郎と同じく、懐徳堂に深い関わりを持ち、中井竹山(1730~1804)、中井履軒(1732~1817)らと交流し、山片蟠桃(1748~1821)の師でもある。
『傷寒論』にも通じていたらしく、漢方家にも気になる存在だ。
漢方といえば、浄春寺には、古方派の泰斗・吉益東洞(1702-1773)の曾孫・吉益恬庵(1820~1846)の顕彰碑がある。
ただし、10年ほど前に剥落して現在はズルムケ状態だ。
吉益南涯(1750~1813)の腹違いの弟である吉益嬴斎(1767~1816)や、其の子・吉益樗斎(??~1854)の墓もあったらしいが、現存はしていないようである。
各務文献(1755~1819)は、江戸後期の整骨医で、我が国近代整形外科の先駆者の一人とされている。
日本医史学会・大阪府医師会・日本柔道整復師会が共同で建立した立派な顕彰碑もあり、手技療法家の方などお参りしてみるのも善かろう。
同寺には、蘭医の大矢尚斎や眼科医の三井棗州などの墓があり、地味ながらもハカマイラーの心の琴線に触れるスポットである。
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