契沖の史跡を訪ねて①
- 2020/02/28
- 18:20
契沖養寿庵跡(大阪府和泉市万町310付近)
契沖は寛文九年(1669)から十年の間、和泉の地に幽居し、仏典・漢籍・国典を渉猟して、古典学者としての基盤を獲得した。
延宝2年(1674)頃から数年間、万町村(現在の和泉市万町)の豪農で膨大な蔵書を持つ文人でもあった伏屋重賢(1638~1693)に招かれ、伏屋邸内の養寿庵に寄寓しつつ、同家の蔵書で研究している。
もともと伏屋家は契沖の祖父と親交があったものらしい。
養寿庵の跡地は、昭和13年に大阪府の指定史跡となっており、同60年には地元の和泉ロータリークラブの創立25周年を記念して写真中央の碑が建てられた。
ちなみに、石尾中学前の国学発祥之地碑からは直線距離にして700m弱。
阿闍梨契沖之遺跡
契沖は、伏屋家に滞在する前、久井村の辻森家(伏屋家同様多くの典籍を蔵していた)にも数年滞在して学究生活を送っており、現在、松尾川東岸に昭和28年に建てられた「阿闍梨契沖之遺跡」碑とロータリークラブが昭和59年に建てた歌碑を見る事が出来る。
僧契沖遺愛の井戸
近くには契沖遺愛と伝えられる井戸も遺っている。
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万町の養寿庵跡はGoogleマップ上にも表示されるのだが、久井町の契沖史跡は2020年2月現在地点登録されておらず、場所が非常に判り辛い為、地図を載せておく事にする。
ただ、松尾川添いの旧宅跡は、旧南松尾小学校(2017年廃校)北角にある案内板を見る限り、川の西岸にあるように書かれており、或いは近年になって石碑の位置が移動されているのであろうか。
いずれにせよ、探訪家の便宜を図れれば幸いである。
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