『古代国語の音韻に就いて』橋本進吉著
- 2020/03/05
- 18:33
『古代国語の音韻に就いて』橋本進吉著(岩波文庫/1980年初版)
連日契沖の史跡を巡り歩いていて、ふと昔読んだ一冊の本を思い出した。
それは岩波文庫の一冊として版を重ね続けている橋本進吉(1882~1945)の『古代国語の音韻に就いて』で、江戸時代の学僧という程度の漠然とした認識しか持っていなかった契沖阿闍梨が国学史上いかなる業績をあげた人物なるかを庵主に知らしめた書物こそ、この名著に他ならなかったからである。
そして、私はこの書物の存在を百目鬼恭三郎の『風の文庫談義』によって知らされた。
元来書評の類を書くのは異常なまでに不得手であるにより、百目鬼本の該当項をそのまま転載させて頂く事にする。
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学術的な研究を一般読者に紹介する仕事が多少ともわかってくると、これは、私のような門外漢はむろんのこと、いい加減な学者では任に余る。本当にすぐれた入門、概説書は、大学者でなければ書けない、ということを痛感するようになる。
学問というものは、頭の中に蓄積された知識が、網の目のようにお互いに結びついて、ひとつの体系を形づくるまでにならなければ、その本質を見通すことができない。ところが、世の多くの学者、研究者は、体系をもつに至らないから、ただ知識の断片を平面的につなぎ合わせているにすぎないわけで、彼らの書くものも、所詮は知識の断片のつぎはぎなのである。
むろん、読者が専門家である場合は、知識の断片でも役に立つことがある。が、一般読者にとっては、それでは何の意味もない、石ころ同然のものでしかない。ただ、論証を組み立ててゆく手順のたしかさと、学問の奥行きの深さを垣間見せてくれるものにのみ、感動することができるのである。そういうものが書けるのは、大学者だけなのだ。その好例として、橋本進吉『古代国語の音韻に就いて』がある。
橋本は、国語の音韻史、殊に上代と中世末の国語の音韻研究に巨大な足跡を残しながら、終戦の年に栄養失調で死去した国語学者である。この文庫本には、一般向きと思われる三編の論文を収めているが、その中でも特に、昭和十二年五月に、内務省が主催した神職講習会での講話に加筆した表題の論文をおすすめしたい。
講話の口調を残したこの論文で、橋本はまず、言語の音は時代とともに変化することをていねいに述べてから、昔の日本語の音を知る手がかりとして、仮名遣いというものをとりあげている。
仮名のうちに「い」と「ゐ」、「え」と「ゑ」、「お」と「を」は、発音がおなじでありながら、犬は「いぬ」、居るは「ゐる」という風に、言葉によって使い分けられてきた。この使い分けが、上代の万葉仮名にも見られることから、もとはそれぞれちがう発音をあらわしていたにちがいない、という考えはすでに江戸中期の学者たちよって発表されている。
そしてさらに、ア行の「え」とヤ行の「え」は発音もおなじ、文字もおなじであるにもかかわらず、これも万葉仮名では区別して書き分けられていることから、上代にはこれも発音に区別があったにちがいない、と江戸後期の学者奥村栄実は考えた。
また、それ以前に、本居宣長の弟子石塚龍麿は、キ、ケなど十三の仮名が、万葉仮名ではそれぞれ二種類に書き分けられていることを発見している――という仮名遣いの研究史をわかりやすく説明していって、ついに、上代の日本語には、濁音をふくめると八十七の音の区別があった、という橋本自身の説に到達するのである。
この論文は、実にわかりやすく書かれている。が、このわかりやすさは、単に事柄をかみくだいて説明している、というようなことではない。大野晋はこの文庫本の解説の中で、この「叙述のわかりやすさは、透徹した思索を経たものだけが持つ明るさをたたえている」といって、その明晰性をデカルトの『方法叙説』に比肩させている。説明する事柄の本質が見えていなければ書けないわかりやすさ、ということであろう。
従ってこのわかりやすさが説明の省略、手抜きによって生じたのでないことは、断るまでもあるまい。そのことは、たとえば、十三の万葉仮名の甲乙二種類の使い分けから、その発音のちがいを導き出す説明でよくわかる。
すなわち、カ行、ハ行、マ行の動詞の活用語尾が、四段活用の未然形は甲類、上二段活用の未然形は乙類、というように規則的に使い分けられている現象から、甲類と乙類の仮名のちがいが、五十音図の同じ行の中での段のちがいであること、従って、その発音のちがいは母音のちがいであること、を明らかにするまでの手順の厳密さは、おどろくほどだ。
この論文が、私たち一般読者に知的なスリルを感じさせるのは、繰り返すようだが、論証の厳密さのせいなのである。
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